穴太徳次郎

穴太徳次郎(あのうの とくじろう、別名・黒田屋徳次郎、神戸屋徳次郎、通称・穴太徳(あのうとく)、安濃徳、本名・中野徳二郎、中野徳次郎、 - 1874年)は幕末の侠客、博徒。神戸屋一家初代。

略歴

  • 伊勢国員弁郡穴太村(現在の三重県員弁郡東員町穴太付近)生まれ。
  • 桑名に流れ博徒となる。
  • 下総から流れてきた黒田屋勇蔵の跡目を継ぐ。
  • 黒田屋の地盤を引き継ぐと、信濃松本の浪人・角井門之助、西国の浪人・福山喜内、上野国生まれの浮浪熊五郎などを身近に集め、勢威を北伊勢および尾張、美濃、三河地方の博徒社会に広げていった。
  • 伊勢一の大親分丹波屋伝兵衛を後ろ盾につけ、神戸長吉と対立し荒神山の喧嘩を起こす。
  • 明治7年9月3日、桑名江戸町の自宅で脚気衝心のため急死。享年52歳。墓所は桑名市東方の専明寺。
    三重県員弁郡東員町筑紫にも穴太徳墓が存在する。
  • 跡目は福島の加藤芳兵衛が継いだともされる。

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