上鈴木平五郎
上鈴木平五郎(かみすずきの へいごろう、別名・上鈴木平親王)は幕末の侠客、博徒。
略歴
- 小平市上鈴木の人。
- 通称・平親王平五郎と呼ばれた。これは背中に平将門(平親王)の立派な入れ墨が入ってたからだと言う。
- 小川幸八の兄弟分。
- 天保11年(1840年)、二塚明神前で、幸八らに加勢して小金井小次郎と大抗争を行う。
- 後に侠名を馳せた小次郎とは和解し、独立の親分として地盤を保った。
- 弘化2年(1845年)頃、武州高萩万次郎方に滞在していた清水次郎長と賭場で勝負をし、打ち負けたとの話がある(村松梢風『清水の次郎長』)。
- 一方、史実としては「賭碁」の名手で、近村の国分寺村の医師・本多雖軒と、しばしば碁を競い、打ち勝って金銭を得ている。
- 平五郎は地元民に愛され、「平親王がいてくれたから、上鈴木では百姓が安心して出歩けた」との話も残っている。
- 子分に恋ヶ窪彦太郎。上鈴木留五郎?など。
- 墓は小平市の宝寿院、明治2年または明治5年没。倅は軍次郎。
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