花岡康雄

花岡康雄(はなおか やすお、本名・權康男(クォン・カンナム)、1959年2月7日-)は日本のヤクザ。花岡組組長。

略歴

  • 父親は韓国慶尚南道で代々村長の家柄、名家「權一族」の出身者。
  • 1959年2月7日、花岡康雄は山口県長門市仙崎で生まれた。
  • 高校卒業後、東京都新宿区の食品会社に就職し上京、プロボクサーのライセンスを取得。
  • フェザー級で世界チャンプに手が届くほどの逸材であったが、新人王戦の直前に盛り場で友人がヤクザ3人から暴行を受け、仲裁に入っていた花岡康雄はやむなく3人を殴り倒した。応援に駆け付けた組員10人も全員殴り倒し、警察に拘留。10日後に不起訴で釈放されたがプロボクサーのライセンスを剥奪された。
  • 食品会社を依願退職し、千葉県船橋市でスナックや弁当屋を開業。10代で実業家として成功したが、店で暴れたたちの悪さで有名な地元ヤクザを殴り倒して警察に拘留。やむなく事業を廃業した。
  • 20歳で渡世入りを決意し、関東以外の組織を吟味した結果、単身で岐阜県に向かい、縁あって「門司の番長」と恐れられた大長健一の懐刀・今藤敏の舎弟となった。
  • 1988年2月、銃砲刀剣類所持の罪で懲役5年の判決を受け富山刑務所に服役。
    服役中、稲葉地一家鬼木会若頭・新美勉と兄弟分になる。
  • 1992年2月8日、服役を終え出所。
  • 1996年、岐阜県を地盤としていたが、抗争事件、殺害事件などで懲役17年の判決を受け長期服役。
  • 岐阜刑務所に服役し、熊本刑務所、徳島刑務所、水戸少年刑務所(現水戸刑務所)、八王子医療刑務所、水戸刑務所と6回の移送をされ、刑期のほとんどを独居で過ごした。
  • 2012年8月25日、17年間の服役を終え水戸刑務所を満期出所し、頭髪が薄くなった姿が恥ずかしく思い、靴墨を頭皮に塗った姿が特徴的であった。
    花岡康雄の出所に際し、一昨年前に23年間の長期服役を終え社会復帰した二代目東組副組長で二代目清勇会会長・川口和秀や、花岡康雄の若衆らが出迎えた。
    花岡康雄と川口和秀は、共に長期刑の獄舎で川口和秀が同人パンフレット「獄同塾通信」通称「獄パ」の塾長となり、大阪の女性が編集長となって、創刊を企画し何百通もの手紙のやり取りを通じて友となったが、2人が顔を合わすのはこの時が初となった。
  • 2020年1月12日、金銭トラブルなどから花岡康雄が組員・山下信二ら2人と共に、北九州市小倉北区黒原2丁目の自営業男性宅の玄関や車などに銃弾6発を撃ち込む事件が発生。
    のちに3人は銃刀法違反などの罪で逮捕された。
  • 2021年12月14日、福岡地裁小倉支部は、花岡康雄に懲役10年、実行犯・山下信二に懲役8年の判決を言い渡した。


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