石原幸次郎

石原幸次郎(いしはらの こうじろう、別名・喧嘩幸次郎、文政5年(1822年) - 嘉永2年(1849年))は幕末の侠客、博徒。

略歴

  • 武蔵国大里郡石原村の人。
  • 武州熊谷在の博労(馬飼商人)だったと言われる。
  • 争い事が好きで喧嘩幸次郎の異名をとった。
  • 隣村田中村の三村岩五郎の子分だったと言う。
  • 嘉永2年(1849年)、武蔵国熊谷宿あたりに突如出現し、武装集団を結成、次々と殺人、強盗、拉致傷害などしたい放題、挙句の果てに逃亡、甲州から駿河と、行く先々を荒らし回り、甲州に舞い戻り、信州まで我が物顔で横行して、悪の限りを尽くした博徒一味の頭目であった。
  • 田中村岩五郎とともに栗谷川半兵衛を殺害、丹波屋伝兵衛と対立した。
  • 最後は甲府で甲州勤番(非人善九郎子分の久次郎、弥左衛門)に捕縛され、江戸小塚原の刑場で獄門となった。享年28歳。

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