栗谷川半兵衛

栗谷川半兵衛(くりやがわの はんべえ、別名・栗ヶ浜半兵衛、桐生半兵衛、松阪半兵衛、角力半兵衛)は幕末の侠客、博徒、元力士。伊勢崎一家?

略歴

  • 1794年生まれか。
  • 上野国佐位郡伊勢崎町または三河国幡豆郡吉良の生まれ。
  • 栗谷川は伊勢国多気郡栗谷村に流れる川、地名であるが、三河国額田郡(岡崎)の人ともいわれる。
  • 相撲取りの頭であり、角力興行を行いながら東海道から上州辺りまで手広く活動した。
  • 一時は上野国に居を据え、大前田英五郎の兄弟分となり、桐生半兵衛とも呼ばれた。
    この頃、危機に瀕していた江戸屋虎五郎を救った。
  • 嘉永2年7月24日夜、半兵衛は武蔵国の石原幸次郎以下の博徒集団に、突如伊勢国古市の居宅で襲われ、重症を負う。
    薬石効無く兄弟分の丹波屋伝兵衛が看取る中、翌日死去。
    この時自身の仇討ちを伝兵衛に頼んだとされ、これが元で嘉永2年の騒動が起こる事になった。
  • 別の説では嘉永元年7月27日、武蔵国大里郡・田中岩五郎・武蔵国熊谷・石原村幸次郎は伊勢松坂の半兵衛を殺害。半兵衛は古市・丹波屋伝兵衛・伊豆・大場久八に仇討ちを遺言。とある。

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