弘田憲二

弘田憲二(ひろた けんじ - 2002年4月20日)は日本のヤクザ。指定暴力団・中野会副会長、弘田組組長。

略歴

  • 高知市出身。
  • 1970年(昭和45年)、中井組内岡林組に加入。
  • 1978年(昭和53年)、弘田組を結成し、中井組の直系となる。
  • その後、中井組若頭に昇格。
  • 1999年(平成11年)7月1日、大阪府公安委員会が独立組織として中野会を指定暴力団に指定。
  • 2002年(平成14年)4月20日、宅見若頭射殺事件の報復をしようと、旅行中の弘田憲二を本島から単独で追い続けていた五代目山口組天野組東浜一家組員・山下哲生が、沖縄県那覇市山下町の国道331号で、オートバイに乗ったまま、弘田憲二の乗った知人女性が運転する車に向けてブラジル製38口径拳銃を1発発射し、弘田憲二は胸部に被弾した。
    弘田憲二の車を運転していた知人女性は、オートバイを振り切ろうと他の車に接触しながらも逃げようとしたが、那覇市繁華街の路地で追いつかれて4発発砲され、弘田憲二は胸や腹などに2発被弾して病院に搬送された。
  • 同日午後3時25分、弘田憲二は内臓損傷などによる失血により死亡した。銃弾1発は弘田憲二の体を貫通し、2発は体内から摘出された。
  • 同月23日、高知市内で弘田憲二の通夜が営まれたが、中野太郎は通夜に出席しなかった。
  • 翌24日、告別式が営まれ、約400人が参列した。


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