弘田憲二
弘田憲二(ひろた けんじ - 2002年4月20日)は日本のヤクザ。指定暴力団・中野会副会長、弘田組組長。
略歴
- 高知市出身。
- 1970年(昭和45年)、中井組内岡林組に加入。
- 1978年(昭和53年)、弘田組を結成し、中井組の直系となる。
- その後、中井組若頭に昇格。
- 1997年(平成9年)8月28日15時20分ごろ、新神戸オリエンタルホテル(ANAクラウンプラザホテル神戸)のティーラウンジで、宅見勝・岸本才三・野上哲男の3人がテーブルに着いた直後、中野会の襲撃部隊が38口径と45口径の拳銃で宅見勝を銃撃。宅見勝は7発の銃弾を受け、神戸市立中央病院に緊急搬送されたが、約1時間後の午後4時32分に銃撃による失血により死亡した。(宅見若頭射殺事件)
- 同月31日、宅見勝の告別式が行われ、五代目山口組組長・渡辺芳則は中野太郎を破門処分とした。
- 同年9月3日、宅見若頭射殺事件で、流れ弾に当たった男性歯科医師が死亡したため、渡辺芳則は中野太郎を破門から絶縁処分とした。
中野太郎は事件への関与を認めず、絶縁に納得できないとして、中野会は解散せず独立組織となった。
- 1999年(平成11年)7月1日、大阪府公安委員会が独立組織として中野会を指定暴力団に指定。
- 2002年(平成14年)4月20日、宅見若頭射殺事件の報復をしようと、旅行中の弘田憲二を本島から単独で追い続けていた五代目山口組・天野組・東浜一家組員・山下哲生が、沖縄県那覇市山下町の国道331号で、オートバイに乗ったまま、弘田憲二の乗った知人女性が運転する車に向けてブラジル製38口径拳銃を1発発射し、弘田憲二は胸部に被弾した。
弘田憲二の車を運転していた知人女性は、オートバイを振り切ろうと他の車に接触しながらも逃げようとしたが、那覇市繁華街の路地で追いつかれて4発発砲され、弘田憲二は胸や腹などに2発被弾して病院に搬送された。
- 同日午後3時25分、弘田憲二は内臓損傷などによる失血により死亡した。銃弾1発は弘田憲二の体を貫通し、2発は体内から摘出された。
- 同月23日、高知市内で弘田憲二の通夜が営まれたが、中野太郎は通夜に出席しなかった。
- 翌24日、告別式が営まれ、約400人が参列した。
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