岡島一家
岡島一家(おかじまいっか)は現在の愛知県名古屋市または東春日井郡に本拠を置いた博徒一家。
略歴
- 幕末の頃、尾張藩の折助岡島次郎吉が博徒になり、明治初年頃一家を興す。
- 一説には北熊一家の支流とも。
- 大いに栄えたが、明治17年1月の大刈込で岡島次郎吉が捕まり獄死する。
- 一の子分丹羽三左衛門、大岬大五郎、某善三郎らが傑出していたが、三左衛門は次郎吉の妾と私通したため破門され北熊一家・北熊実左衛門に預けられた後身内を名乗っていたため、跡目が一時途絶える。
- 明治27年頃、三左衛門の子分・稲生兵左衛門が跡目を継ぐ。
- 瀬戸一家と信濃屋一家の間に縄張りを持つ小一家であったため独立困難となり、三左衛門の命により信濃屋一家・中條増右衛門の子分となる。これにより信濃屋一家の系列となる。
- 縄張りは東は鳥居松一家、西は稲葉地一家、北は信濃屋一家に接していた。
- 大正7年頃、丹羽三左衛門が死去。三左衛門の実子・水野兼松が兵左衛門の子分となる。
- 大正8年、稲生兵左衛門が引退し、水野兼松が跡目を継ぐ。兵左衛門は大曽根で西洋料理屋をやった。
- 大正12年頃、水野兼松は本家たる信濃屋一家の坂崎才次の跡目を継ぎ大親分となる。
系譜
初 代 - 岡島次郎吉(岡島治郎吉)
二代目 - 稲生兵左衛門こと水野兵左衛門
三代目 - 水兼こと水野兼松(信濃屋一家を相続)
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