下田兼五郎

下田兼五郎(しもだの かねごろう、別名・下田兼吉、本名・吉原兼五郎)は幕末の侠客、博徒。下田一家初代。

略歴

  • 武州駒ヶ橋村(現在の横浜市港北区下田町一帯)の人。
  • 文政7年生。
  • 屋号は小松屋(料亭)といった。
  • 武州の港北区(現川崎)を中心に勢力を張った。
  • 最大の火場所は川崎の影向寺で、ここは関東屈指の古刹であることから、多くの博奕打ちが訪れ、彼らと盟を結んだ。
  • 明治2,3年頃、三宅島帰りの小金井小次郎が、ここで兼五郎に会い大歓迎を受けた。しかも、今までもらったことの無いほどの草鞋銭に、さすがの小次郎も度肝を抜かれ、兼五郎と五分五分の兄弟分の盃をかわしたという。
  • 跡目を子分に譲り隠居して川崎に移って遊女屋「小松屋」を経営した、小松屋も子分に暖簾を譲っている。
    小松屋の二代目は吉原初太郎?
  • 現在の下田小学校敷地がもとの兼五郎の屋敷で、女や老人に優しく子供たちをとても可愛がっており、村人から大変に尊敬されながらここで歿し、現在も墓所が小学校の裏にある。
  • 明治16年1月18日没。享年59歳。


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