三直玉吉
三直玉吉(みのうの たまきち、他に美能の玉吉、美濃の玉吉など。本名・平野玉吉)は幕末の侠客、博徒。三直一家初代。
略歴
- 現在の君津市三直の人。
- 鹿野山の大博打を仕切り、土地の顔役として羽振りをきかせていた。
- 天保14年(1843)頃、仇敵木更津新宿長吉?の子分だった吉五郎?を追い落とそうとするが、当地に滞在し、吉五郎の後ろ盾として助に入った小金井小次郎と対立する。
一時はこのおかげで木更津の縄張りを取り返されるが、やがて小次郎が目明し與吉の娘聟・五郎蔵に罠にはめられ捕縛されると旧領を取り返す。
- しかし万延元年(1860)、勢力伸長を妬んだ者たちの讒言によって捕縛され、八丈嶋へ流された。
- 文久3年(1863)、3月28日、在島のまま病死。
- なお玉吉は木更津に万屋と言う店を開き、十手取縄を公から下賜された上総の目明しで、地元のためによく尽くしたとも言う。
- 土地の郷土史家・河田陽氏に拠れば、以下の様な姿が玉吉の実像であるとのこと。
「…家業は一切は子女に任せ、自分は常に各所の盆ゴザの監督や紛争の仲裁をしていたという。
六尺豊かな大男で挙措悠容としており迫らず、外出の時は藤の網笠を眼深にかむり、
腰には朋金づくりの業物をぶち込み、大道をのし歩く様は威風堂々たるものであった。
然しその頑丈な体格に似合わず物腰は穏やかで、堅気の者に対しては謙譲で、しかもよく人のためにはかった」
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