高橋金次郎
高橋金次郎(たかはし きんじろう 1875年10月15日-1942年2月6日 )は日本のヤクザ、博徒、右翼。浅草高橋組初代。
略歴
- 1875年(明治8年)10月15日、武蔵国北足立郡新郷村新堀(現在の埼玉県川口市)に生まれる。
- 浅草新谷町に住んだ。
- 向島の榎本吉蔵(千住一家初代)、建築請負業・酒井仲之助の子分。千住一家二代目・鈴木市五郎とは兄弟分。
- 足尾組初代・飛高三次は子分。
- 全国に子分1万人いたとされる。全身に不動明王の刺青を入れていた。
- 31歳の時、田畑を売って得た150両のうち100両を妻子に残し、50両を手に商売を始めるために上京するも賭場で負けて金を失う。
立ち寄った月島の一膳飯屋「吉原屋」で、喧嘩を始めた客二人を川に放り込んだのが縁で、吉原屋へ草履を脱いだ。
- 事情を聞き、気の毒に思った吉原屋の親爺が貸してくれた50両で始めた八百屋が大繁盛したが、上京した甥にその八百屋をやらせたいという吉原屋の言うことを聞き入れ店を譲り、その後土方稼業に転身した。
- 1922年(大正11年)、売却した新堀の土地を買い戻し和洋折衷の家を建て、晩年の殆どを過ごした。
- 靖国神社に常陸丸殉難記念碑が建立されたときには、陸軍中将・石光真臣から軍刀を頂戴している。
- 1942年(昭和17年)2月6日歿、行年68歳。
墓所は埼玉県川口市新堀の歓喜院、敷地内に胸像あり。墓の書は陸軍小将・松室孝良によるもの。
- 浅草高橋組二代目・高橋震治は高橋金次郎の養子、三代目・高橋庄司は長男。
- 娘は浅草五所組?初代・山田兵三の妻。
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