誉田講神社
誉田講神社(こんだこうじんしゃ)は大阪府に本拠を置いた的屋系暴力団。
略歴
- 享保から元文年間の頃、江戸に越前屋、尾上、丸野、大阪に博労、誉田講神社、代々木など、官設の露店取締ができた。これは幕府の政策によるもので、香具師が隠密の役割をする代わりに縁日、盛り場などの露店の監督権を与えられ収益とすることを許された。
これに準じて神社仏閣でも同様に露天取締の制度ができ、監督権が認められた。
- 誉田八幡宮の社家に関係があるとされ、代々塩野織部を継いだ。
また塩野一族は蘇我氏の流れをくむともされる。
- 誉田八幡宮の近くで織部堂の看板を掲げて抜歯、入歯、口中治療を行ったとされる。
- いつ頃か誉田八幡宮の境内で喧嘩や乱闘があった際に、単身割って入りとり沈めた。その功により誉田八幡宮の祭礼の有力な顔役となった。
- 入歯細工、口中治療を表看板に、また一方では講神社を結成して誉田八幡宮境内に集まる出店、縁日の取り締まりをした。
- 初代塩野織部こと国光織部は慶応3年(1866年)6月1日死去。
- 二代目塩野織部の墓には昭和12年4月建之。誉田講神社。堺誉田分家。誉田大阪今西組。とある。
- 三代目塩野織部は明治28年2月21日死去。
- 塩野氏三代の墓は野中寺にある。
- 塩野邸は後に織部歯科医院となった。
- 昭和36年頃は誉田連合会とも。
系譜
初 代 - 塩野織部?こと国光織部
二代目 - 塩野織部?
三代目 - 塩野織部?
組織図(昭和5年)
総 長 - 塩野織部
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