美尾尚利
美尾尚利(みお なおとし 1942年12月20日生)は日本の元ヤクザ。元指定暴力団・五代目山口組若中、美尾組初代組長。
略歴
- 独立組織・五代目清水一家総長・田辺金吾の若い衆として渡世入り。
- 1966年11月13日、田辺金吾は清水一家の解散を決意し、清水市内の料亭「玉川桜」で解散式を行った。
- 当時24歳だった美尾尚利は無所属となり、愚連隊同然となった。
以降、15年間にわたり一本独鈷を通した。
- 1982年1月24日、三代目山口組・黒澤組組長・黒澤明と兄弟盃を交わして舎弟となり、山口組入りした。
兄・舎弟盃式は、佐々木組組長・佐々木道雄の媒酌により、黒澤明の自宅で執り行われた。
- 黒澤組では舎弟頭補佐などを務めた。
- 1984年、山口組は四代目の跡目争いから分裂し、一和会の発足により、黒澤明は渡世のしがらみから苦渋の決断を迫られ、引退。
黒澤組副長・前田和男と、舎弟頭補佐・美尾尚利の2人は、四代目山口組組長・竹中正久のもと、直参に昇格した。
- 山一抗争では、後藤組組員らと一和会会長・山本広宅にダンプ特攻を慣行するなど武闘派ぶりを見せつけた。
- 五代目山口組体制では、組長秘書として渡辺芳則から全幅の信頼を受けた。
- 2002年10月、脳梗塞を患い、引退。
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