神田吉兵衛
神田吉兵衛(かんだの きちべえ、本名・奥田吉兵衛)は幕末から明治の侠客。丸万一家二代目。
略歴
- 丸万金兵衛の片腕といわれた子分に、神田ノ吉兵衛こと奥田吉兵衛が居た。
- 吉兵衛は、江戸の御家人奥田氏の生れで、チャキチャキの江戸っ子、しかも神田の生れである。
- 最初は客分として草鞋を脱いだが、明治十五年ごろ、金兵衛歿後は、この神田ノ吉兵衛が丸万一家の跡目を継ぎ、小姓町に貸座敷「奥田楼」を開いて土着した。
- 吉兵衛の乾分には日下部政次郎、大津吉五郎、高橋米三郎、村田金助などがいた。
- 大正五年六月十五日歿。行年八十二歳。墓所は山形県山形市八日町の浄光寺。
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