岡 精義
岡 精義(1903-没年不詳)は日本の元ヤクザ、実業家。三代目山口組舎弟。山口組七人衆。三友企業・神戸生コン運輸・兵庫ブルドーザー・流星タクシー各社長。全港振理事・同神戸副支部長。神戸港湾地区職業安定審議会委員。
略歴
山口組加入以前
- 明治36年(1903年)12月24日岡山県倉敷市生まれ。17歳で神戸へ出て沖仲仕として働き始める。
- 昭和13年(1938年)に港湾荷役の下請業兼土建業を営む三宅組を設立(昭和20年とする記述もある)。以降、戦時中は東南アジアの軍船荷役に従事するなど一貫して港湾事業に携わる。
- 田岡一雄とは賭場で知り合い、昭和9年(1934年)の海員争議本部殴り込み事件では田岡と共に行動している。
山口組加入後
- 神戸で終戦を迎え、昭和21年(1946年)に田岡の若衆として正式に組員となる。組員は持たず、加入後も事業に専念する。
- 昭和26年(1951年)4月、三友運輸(後に三友企業に改称)を設立。その他にも港湾荷役業者を結集した港洞会や全港振の設立に尽力し、神戸港での山口組の立場を確固たるものにする。
- 後年、田岡の舎弟に直り、七人衆に名を連ねる。現在で言う企業舎弟として中西工務店など五社の社長、甲陽運輸など三社の監査役を歴任。
頂上作戦以後
- 警察の頂上作戦が始動した昭和41年(1966年)4月19日、恐喝容疑で逮捕。前年9月に台風で流出したドラム缶が自社の機械を破損させたことについてドラム缶を所有する業者から補償を受け取ったことが罪に問われた。警察の半ば強引な調書作りによるもので、補償を支払った二社のうち一社は被害調書に署名をしていない。
- 63歳で初めて留置場に入り、同月25日に田岡へ引退願いを送付。5月5日、他の企業舎弟ら19人と共に正式に脱退。
- 離脱後、海運局の行政指導により三友企業社長を辞任し、持ち株も手放す。実子も同社常務を辞任。その他多くの企業の役職から外れ、権勢を手放した。
- この項目は書きかけ項目です。
- 役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
- 編集される際は「テキスト整形のルール(詳細版)」をご覧下さい。
- 他のユーザーに編集協力を依頼する場合は、下記の【このページの編集依頼】または【加筆・編集依頼】から編集対象のページタイトル・編集内容をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。
- 運営宛に編集依頼する場合は【メールで編集依頼】から依頼して下さい。
- ※悪質な書き込み、誹謗中傷や悪戯、あらし行為、虚偽内容の依頼については情報開示手続きを取った上で厳正に対処いたします。
【他の利用者に編集協力を依頼する】