大久保栄作
大久保栄作(おおくぼの えいさく、本名・中島栄作、1818年または1820年、1821年 - 1881年3月18日または4月18日)は幕末の侠客、博徒。大久保一家六代目。
略歴
- 上野国北群馬郡吉岡村大久保の人。
- 文政元年(1818年)生まれ。
- 大久保代八の系統で大久保一家を興す。妙義の白雪山の大の字を取り一家の代紋としたとされる。
- 吉岡村から渋川市一帯に縄張りを持った。
- 大前田英五郎、国定忠治と兄弟分であった。大前田英五郎の弟分とも。
- 国定忠治が赤城山に籠もった時、炊き出しをした。
- 妻ははる(1819年-1900年1月1日)。
- 子分に外山和五郎(栄作の跡目を継ぐ)、善養寺重次郎(外山和五郎の弟分)。
- 晩年になって小遣い銭がなくなると、前橋ノ乱国こと吉田藤太郎(嘉永2年生)、渋谷ノ五郎こと横手五郎平(万延元年生)、箕輪ノ又、湯の上ノ常など名のある一家の親分衆を訪ねて小遣いをもらってきたという。
- 明治14年4月18日、病死。行年62歳、墓所は上町の共同墓地、戒名は「宝泉道栄居士」。
検索用
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