増川仙右衛門
増川仙右衛門(ますかわの せんえもん 本名・宮下仙右衛門 -明治25年8月6日)は幕末から明治の侠客、博徒。次郎長一家二十八人衆。
略歴
- 静岡県清水市の人。
- 駿河国富士郡増川村(現・富士市増川地区)出身。
- 父は増川佐治郎で、伊勢古市丹波屋伝兵衛の女房おとめの兄であるため、伝兵衛の甥にあたる。また清水次郎長の甥とする説とあるが誤り。
- 父佐治郎が本郷金平子分・下田竹之助、比奈力蔵、比奈民蔵に殺される。
- 仙右衛門と佐治郎子分・辻勝五郎は清水次郎長を頼りその子分となり、佐治郎の仇、力蔵、民蔵、竹之助を殺す。
- 文久元年9月、丹波屋伝兵衛が甥の仙右衛門を清水次郎長への使者としたとする説あり。
- 後に仙右衛門は清水次郎長の盃をもらい子分となって、次郎長の家の近くに住み、清水大政亡き後は次郎長一家の束ねをし、重鎮として次郎長を助ける立場となる。
- 武州寺谷一家供養碑に世話人駿州清水・宮下仙右エ門、三ヶ浜虎五郎墓に世話人・宮下仙右エ門とある。
- 明治25年8月6日歿。行年57歳。静岡県清水市清水町の妙慶寺。
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