佐古野繁樹
佐古野繁樹(さこの しげき 1945年~1981年2月4日)は日本のヤクザ。草野一家若頭、大東亜会会長。
人物
- 福岡県北九州市出身。生まれ育ちも福岡県北九州(小倉出身の説あり)。
- 三代目大東亜会会長・佐古野善行は実弟。
- 金縁の眼鏡が特徴であった。
略歴
- 1970年代後半、福岡県田川から初代草野一家田川支部長の天野義孝に引き連れられ、新たに草野一家に加入した当時30歳代だった溝下組組長・溝下秀男(後に三代目工藤會会長・四代目工藤會総裁)が、本部へ挨拶に来た。
通常、名の知れた人物でも初めて本部内での挨拶は緊張するが、溝下秀男は挨拶どころかソファーに座る初対面の大幹部・佐古野繁樹の顔を覗き込み、「おんどれ、図体ばっかり大きいても、5年したら貴様を俺の下で鎖に繋いでやるき、これまで待っちょれ、こら」と凄んだ。
当時、草野一家最高幹部の若頭だった佐古野繁樹は「なにこら、若造」と立ち上がり、総長・草野高明に制止された。
新参者の溝下秀男は、本来ならその時点で破門にされても文句は言えない立場だったが、、何故か草野一家幹部らから「あれは威勢がいい」と評価され、いつの間にか不思議と佐古野繁樹とも仲良くなり、信頼関係を築いていった。
堺町事件
- 1981年(昭和56年)2月4日、北九州小倉の堺町にあるクラブ「美松」を出た前で草野一家若頭・大東亜会会長・佐古野繁樹(36歳)と、工藤会理事長・矢坂組組長・矢坂顕(52歳)が偶然鉢合せし、お互い口論の末、双方が拳銃を乱射、激しい銃撃戦となった。
佐古野繁樹は矢坂組組員に撃たれ倒れながらも、2メートル程度の至近距離から矢坂顕を銃撃。
二人とも全弾撃ち尽くし、その場で佐古野繁樹(事件当時36歳)と矢坂顕(事件当時52歳)の両名は出血多量で絶命した。
- この項目は書きかけ項目です。
- 役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
- 編集される際は「テキスト整形のルール(詳細版)」をご覧下さい。
- 他のユーザーに編集協力を依頼する場合は、下記の【このページの編集依頼】または【加筆・編集依頼】から編集対象のページタイトル・編集内容をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。
- 運営宛に編集依頼する場合は【メールで編集依頼】から依頼して下さい。
- ※悪質な書き込み、誹謗中傷や悪戯、あらし行為、虚偽内容の依頼については情報開示手続きを取った上で厳正に対処いたします。
【他の利用者に編集協力を依頼する】