#author("2021-09-01T14:27:22+09:00;2021-04-19T18:15:02+09:00","","")
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* 極政組 [#jb262fa9]
&size(16){''四代目極政組''(きょくせいぐみ)は[[福岡県中間市中鶴1-25-12:https://maps.app.goo.gl/gu6evYBgQPrYV6PJ7]]に本部を置く暴力団で、指定暴力団・五代目[[工藤會]]の二次団体。旧[[極政会]]。};
&size(16){''四代目極政組''(きょくせいぐみ)は[[福岡県中間市中鶴1-25-12:https://maps.app.goo.gl/gu6evYBgQPrYV6PJ7]]に本部を置く暴力団で、指定暴力団・五代目[[工藤會]]の二次団体。旧・溝下組、極政会。};
#ref(工藤會/工藤会.jpg,right,nowrap,画像)
** 略歴 [#g718aec0]
-1961年、[[溝下秀男]]が地元中学を卒業し、北九州市門司を本拠に大長健一が率いた愚連隊・大長組へ入門。
-1970年、大長健一が殺害され、24歳で愚連隊・「''溝下組''」を結成。
-1978年、12月、[[草野一家>工藤會]]田川支部長・天野義孝と、[[溝下秀男]]が盃を交わし、率いていた愚連隊・溝下組ごと[[草野一家>工藤會]]に加入。
-1979年9月、[[溝下秀男]]が[[草野高明]]の舎弟となり、組織名称を「溝下組」から「極政会」へと名称を変更。
[[溝下秀男]]は[[草野一家>工藤會]]の勢力拡の大きな原動力となり、のちに[[草野一家>工藤會]]若頭となる。
-1987年6月、[[草野一家>工藤會]]と[[工藤会>工藤會]]は抗争を重ねたが、恩讐を超えて大同団結し再統合、名称を「''[[工藤連合草野一家>工藤會]]''」と改めた。
[[工藤玄治]]が総裁に、[[草野高明]]が総長に就任。
新井秀夫(草野一家総長代行)、[[溝下秀男]](草野一家若頭)、本部長・[[野村悟]](工藤会理事長)など、草野一家が重要ポストを占め、代紋は草野一家のものを使用した。
工藤会9団体206名、草野一家26団体628名の合計35団体、834名という九州一の大組織が誕生した。
-1990年、[[溝下秀男]]は[[工藤會]]の三代目を襲名。[[江藤允政]]が極政組二代目を継承。
-2000年、[[溝下秀男]]が四代目[[工藤會]]の総裁に就任。
-2008年7月1日、[[溝下秀男]]が急逝。
兼ねてより三代目[[工藤會]]内部において旧[[草野一家>工藤會]]系と旧[[工藤会>工藤會]]系が対立関係があり、[[溝下秀男]]の急逝以降、旧・草野一家系溝下派の有力者が次々と何者かの手により殺害されていく。
-同年7月から篠崎組組長・篠崎一雄(射殺)、末松勝巳組長(射殺)、津川組相談役・安高毅(射殺)、徳竜組組長・徳本竜吾(射殺)と続いた。
-同年8月、二代目・[[江藤允政]]は[[工藤會]]組織委員長・警護隊長を務めていて[[溝下秀男]]の側近中の側近だったが、もう少しで2年間の服役を終える収監中に突然と四代目[[工藤會]]を除籍処分になり引退させられる。
後継は二代目極政組若頭・[[今田雄二]]が三代目組長となった。
長期服役ならともかく、代替わりを服役中に行うのは異例中の異例であり、通常は当代が関係者に十分な根回しをしてから行われるのが通例である。
-一連の事件中、三代目極政組組長・[[今田雄二]]を中心に主要幹部12名は、組を脱退しようとした組員を集団で暴行したとして、逮捕監禁致傷容疑で全員逮捕された。
つまり、極政組幹部が社会不在、当代が服役中に代替わりが行われた。
因みに、無理やり引退させられた[[江藤允政]]に対する四代目[[工藤會]]会長・[[野村悟]]、理事長・[[田上文雄]]の対応は「破門」であり、事実上四代目[[田中組]]が溝下派を制圧した瞬間でもある。
三代目[[工藤會]]会長・[[溝下秀男]]が亡くなり、[[草野一家]]出身で三代目[[工藤會]]会長代行を務めた天野義孝も亡くなるなど、[[草野一家]]出身の大物親分が鬼籍に入り無縁ではないだろう。
-2012年7月8日、福岡県筑紫野市光が丘3のマンション玄関ロビーで、引退後の元極政組二代目組長・[[江藤允政]]が3発の銃弾を至近距離から撃たれ射殺された。
** 系譜 [#g718aec0]
初 代 - [[溝下秀男]](初代[[溝下組]]組長・初代[[極政会]]会長・三代目[[工藤會]]会長)
初 代 - [[溝下秀男]](初代溝下組組長・初代極政会会長・三代目[[工藤會]]会長)
二代目 - [[江藤允政]](三代目[[工藤會]]執行部組織委員長)
三代目 - [[今田雄二]](五代目[[工藤會]]常任相談役)
四代目 - [[内蔵成喜八]]
** 略歴 [#g718aec0]
-1961年、[[溝下秀男]]が地元中学を卒業し、北九州市門司を本拠に[[大長健一]]が率いた愚連隊・[[大長組]]へ入門した。
-1970年、[[大長健一]]が殺害され、24歳で[[溝下組]]を結成した。後に傘下組員が増え組織名を[[極政会]]と改めた。
-1979年、[[草野一家]]へ合流し、のちに若頭となる。
-1990年、三代目[[工藤會]]の会長を襲名した。 
-2000年、四代目[[工藤會]]の総裁に就任した。
-2008年7月、[[溝下秀男]]が死去した。
-2012年7月8日、筑紫野市にて、[[江藤充政]]・元[[極政組]]組長が3発の銃弾を至近距離から撃たれ射殺された。引退後の行動がその引き金となったと云われる。
兼ねてより三代目[[工藤會]]内部において旧[[草野一家]]系と旧[[工藤会]]系が対立関係があった。
[[草野一家]]と[[工藤会]]は抗争を重ねたが、その後、恩讐を超えて大同団結して工藤連合草野一家を結成した訳である。
[[極政組]]は、三代目[[工藤會]]会長で元[[草野一家]]若頭の[[溝下秀男]]が興した組で、元は[[極政会]]という名称であり、
[[江藤充政]]は、 その三代目[[工藤會]]会長の側近中の側近で組織委員長・警護隊長を務めていたが、その後、[[江藤充政]]は収監中に除籍処分になり引退させられた。
2008年7月に[[溝下秀男]]が急逝してから、旧[[草野一家]]系溝下派の有力者が次々と何者かの手により殺害されていく。
[[篠崎一雄]]([[篠崎組]]組長:射殺)、([[末松勝巳]]組長:射殺)、[[安高毅]]([[津川組]]相談役:射殺)、[[徳本竜吾]]([[徳竜組]]組長:射殺)と続く中、
江藤が組長を務める二代目[[極政組]]に衝撃が走る。
当時、2年間の服役をもう少しで終えようとする[[江藤充政]]は、二代目[[極政組]]の組長の座を譲り突然引退、若頭だった[[今田雄二]]が三代目[[極政組]]組長となった。
長期服役ならともかく、代替わりを服役中に行うのは異例中の異例であり、通常は、当代が関係者に十分な根回しをしてから行われるのが通例である。
この代替わりが発表される直前の8月に江藤と親しい篠塚が射殺されている。
しかも、一連の事件中、[[極政組]]の[[今田雄二]]を中心に主要幹部12名は、組を脱退しようとした組員を集団で暴行したとして、逮捕監禁致傷容疑で全員逮捕されている。
つまり、幹部が社会不在、まして当代が服役中に代替わりが行われた。
因みに、無理やり引退させられた江藤に対する四代目[[工藤會]]会長の[[野村悟]]、理事長の[[田上文雄]]の対応は、「破門」であり、事実上四代目[[田中組]]が溝下派を制圧した瞬間でもある。
三代目[[工藤會]][[溝下秀男]]会長が亡くなり、[[草野一家]]出身で三代目[[工藤會]]会長代行を務めた[[天野義孝]]も亡くなるなど[[草野一家]]出身の大物親分が鬼籍に入り無縁ではないだろう。
-2021年8月24日、福岡地裁は市民襲撃4事件について、五代目[[工藤會]]総裁の[[野村悟]]に死刑判決、四代目[[工藤會]]会長の[[田上文雄]]に無期懲役を求刑し、理事長である[[菊池啓吾]]・五代目[[田中組]]組長が、2015年8月13日から組織犯罪処罰法違反・放火容疑(組織的殺人未遂)で拘置中でもあり、現在の五代目[[工藤會]]内部は混乱を極め、若い者は北九州を離れ東京に「出稼ぎ」し、資金獲得をしているのが現状である。
このご時世で、四代目[[工藤會]]発足時同様なことが現実に起きたとしたなら、まさに歴史は繰り返されると呼ぶに相応しいことになる。
-一連の四代目、五代目[[工藤會]]内部による粛清が頻発したのは、実効支配を強める旧[[工藤会]]系[[田中組]]によるものである。

** 四代目極政組組織図 [#efe00049]
組 長 - [[内蔵成喜八]](五代目[[工藤會]]理事長補佐)
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