#author("2022-05-05T13:57:12+09:00","","")
* 小金井小次郎 [#qfc1ce74]
&size(16){''小金井小次郎''(こがねい こじろう、こがねいの こじろう、小金井小治郎、本名:関小次郎、1818年 - 1881年)は幕末から明治の侠客、博徒。[[小金井一家]]初代。[[新門辰五郎]]の弟分。};
** 略歴 [#n8358937]
-武蔵国北多摩郡小金井の名主の次男として生まれる。
-天保11年(1840年)、武蔵二塚明神前の小平堀端の[[田折与惣兵衛]]一家との大喧嘩で名をあげ、度重なる賭博開帳の罪で嘉永2年(1849年)三宅島送りとなる。
-明治元年(1868年)、大赦で小金井へ帰り、甲州街道で飯盛り茶屋を営む。
-府中の大親分[[藤屋万吉]]の子分となり、跡目を継ぐ。
島帰りの顔役として羽振りをきかせて東は新宿、南は祭礼で賑わう川崎大師までと縄張りも広く、子分は1200人余りといわれた。
-弘化3年(1846年)、佃寄場服役中に大火から油倉を守り、神社の再建にも力を尽くすなど義侠の行為も少なくなかった。
-明治14年6月5日死去。64歳。
-[[新門辰五郎]]、甲州の[[津向文吉]]と兄弟分。
-[[新門辰五郎]]の他、[[高萩万次郎]]や[[大場久八]]の舎弟とも。
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検索:小金井ノ小治郎、小金井ノ小次郎
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