片岡組
片岡組(かたおかぐみ)は所在地不明の暴力団で、元指定暴力団・五代目山口組の三次団体。上部団体は三代目山健組。
略歴
- 元々は三代目山口組系佐々木組傘下である。
- 1976年10月03日、大阪の日本橋筋商店街で松田組傘下の大日本正義団の吉田芳弘?会長(当時36歳)が、佐々木組組員・片岡昭生と與 則和により射殺された。片岡はこの『日本橋事件』の首謀者とされ、1976年から1987年までの11年間の長期服役した金筋の実力者である。服役中に四代目山口組組長射殺事件が起き山口組が分裂しており、片岡が所属した佐々木組は山口組を脱退、片岡は追従せず二代目山健組組長の渡辺芳則の舎弟として山健組に移籍し、渡辺からも信頼され順調に昇格を果たした。
- 五代目山口組本家の出入りを許されていた三代目山健組本部長の片岡昭生が、山口組直参昇格を望み、山口組五代目組長の渡辺芳則に直訴していたのを、不信感を抱く派閥が三代目山健組に形成されていった。やがて覚醒剤取締法違反で逮捕され三代目山健組から絶縁。後に証拠不十分で不起訴となったが、片岡本人に対する処分は全く覆らなかった。山口組直参昇格を望んだ片岡を罠に嵌め、計画的にヤクザ社会から追放をされた。
- 2000年12月、絶縁処分を受けた片岡組が解散した。
- 山口組は六代目体制と移行したが内部分裂し、山健組四代目組長の井上邦雄を主体に神戸山口組を結成、過去に破門処分を受けた人物を神戸山口組は次々と拾い上げ復帰させたが、肝心な片岡には声が掛からず、三代目司興業が片岡に顧問としてヤクザ社会に向かい入れたが、片岡は佐々木組から山健組、次に司興業へ移籍したが体質に馴染めず、後に組織は解体されヤクザ社会から完全に引退をした。
片岡組組織図
組 長 - 片岡昭生(三代目山健組本部長)
組長代行 - 與 則和(與組組長)
組長代行補佐 - 岬 正義(岬組組長)
相談役 - 三宅 厳(三宅組組長)
舎弟頭・副組長 - 陽田洋二?(陽田組?組長)
副組長 - 鵜飼 隆?(鵜飼組?組長)
若 頭 - 野崎成博?(川健組?組長)
舎弟頭補佐 - 福永翔一郎?(翔永連合?会長)
舎弟頭補佐 - 岡本昭秀?(昭秀会会長)
若頭補佐 - 武田州良?(武田興業?組長)
若頭補佐 - 奥山 勇?(勇心会会長)
若頭補佐 - 大塚広司?(広成連合?会長)
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