後藤一男
後藤一男(ごとう かずお、1941年-2007年)は日本のヤクザ。元指定暴力団・六代目山口組・四代目山健組舎弟頭補佐、五代目多三郎一家総長。
略歴
- 三代目山健組本部長・片岡組組長・片岡昭生と五分の兄弟分。
- 二代目川内組組長・根本辰男と兄弟分。
- 1976年、二代目中京浅野会・近藤組組長の近藤昭の引退に伴い、近藤組若頭の後藤一男が跡目を継承。五代目多三郎一家総長を名乗る。
- 1980年代に勃発した瀬戸一家・侠神会との中京戦争の原因となった抗争事件で、相手側に死者1名を出し長期服役。
- 1998年に出所した際には、名古屋の中京五社会(導友会・運命共同会・平野屋一家・稲葉地一家・瀬戸一家)は瓦解し、所属していた運命共同会・中京浅野会は弘道会入りしていた。
鉄心会は稲川会入り、平井一家は五代目山口組入りしていたが、後藤一男は三代目山健組本部長・片岡組組長・片岡昭生と兄弟分であった関係で山健組に加入。以後、組織名を五代目多三郎一家とする。
- 2005年8月、山健組は四代目に代替わりし、後藤一男は四代目山健組舎弟頭に就任していたが、当時収監中の六代目山口組組長・司忍に代わり指揮をとっていた若頭・髙山清司を公然と批判し、山口組執行部は後藤一男の言動を問題視していた。
- 2007年5月31日、四代目山健組・健國会組員に刺殺された。この身内同士らの口封じ刺殺事件に関連して、主犯格である勢 昇らは警視庁最重要参考人として全国指名手配された。
- 2010年4月、後藤一男刺殺事件の指示役として、四代目山健組若頭・健國会会長・山本國春が組織犯罪処罰法違反(組織的殺人)容疑で逮捕されたが、初公判では無罪であったが第二審では懲役20年、上告し最高裁まで争ったが覆らず懲役20年が確定したが、持病の悪化にて死亡した。71歳だった。
- 2025年10月26日、後藤一男が刺殺された事件で、当時、四代目山健組・一勢会会長であり、現在は神戸山口組・二代目健國会最高顧問であり、18年間も逃亡を続けた勢 昇(76歳)が現場の指示役だったとして26日の夜、神戸市内の路上にて組織犯罪処罰法違反(組織殺人)の疑いで逮捕された(※)。
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