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* 柴田一家 [#cafec17c]
''六代目柴田一家''(しばたいっか)は[[新潟県新発田市中央町3-6-4:https://maps.app.goo.gl/Pv74bbXFigRzT9je8]]に本部を置く暴力団で、指定暴力団・[[稲川会]]の二次団体。
#ref(稲川会/稲川会.jpg,right,nowrap,画像)
** 略歴 [#r354379b]
//もとは[[源清田]][[島影>島影一家]]一門か。
-山梨県出身の小林隆英が若くして郷里を離れ名古屋に移る。
-小幡半四郎こと柴田半四郎のもとで興行を学ぶ。半四郎は小幡村(現在の名古屋市守山区)で力持ちを売りに薬を売る香具師の親分であった。
-明治31年、半四郎の子分となり、柴田隆英を名乗る。
-19歳で独り立ちし、芝居一座を持つ。
-21歳の時、新潟県中蒲原郡新津町の長谷川家の婿養子となるが、その後も興行では柴田姓を名乗る。
-1922年(大正11年)、曲馬団を始め、柴田曲馬団を結成。翌年大橋粂次郎一座を吸収し拡大。柴田大曲馬団と改称。大橋粂次郎も半四郎の子分であり、明治31年に曲馬団を結成した先輩であった。
-1927年(昭和2年)春、公演中の熊谷市で刺殺される。行年45歳。
-長男・長谷川秀市(当時24歳)、次男・長谷川高次(当時22歳)により再出発。秀市が二代目柴田隆英を名乗り、高次は柴田隆治と名乗った。
-1933年(昭和8年)、シバタサーカスと改称する。
-1938年(昭和13年)、東京蒲田で開演中に火災を起こす。
-二代目柴田隆英こと長谷川秀市は仮設興行から退き、映画館経営を行ったため、サーカス団経営は柴田隆治が引き継いた。
-1942年(昭和17年)、大阪出の村上サーカス団を吸収。
-戦時中は猛獣をすべて薬殺したが、戦後に黒須、管野、豊田、ラッキーの4団体を吸収し再興。
-1963年(昭和38年)、シバタ大サーカスが解散。柴田一家として暴力団となる。
-二代目の頃に[[稲川会]]に加入。
** 柴田一家系譜 [#de17c439]
 祖  - 柴田隆英こと長谷川隆英
 祖  - 柴田隆英こと長谷川秀市
初 代 - 柴田隆治こと長谷川高次
//長谷川考次とも
二代目 - [[小林昭夫]]([[稲川会]]新潟地区相談役)
三代目 - [[荒海俊充]]([[稲川会]]直参)
四代目 - 嶋津郁夫([[稲川会]]直参)
四代目 - [[嶋津郁夫]]([[稲川会]]直参)
五代目 - [[山形平四郎]]([[稲川会]]直参)
六代目 - [[伊保橋大]]
六代目 - [[伊保橋 大>伊保橋大]]
** 六代目柴田一家組織図 [#n6526ff6]
総 長 - [[伊保橋大]]([[稲川会]]直参)
総 長 - [[伊保橋 大>伊保橋大]]([[稲川会]]直参)
** 過去の組織図 [#z5a2ff0c]
-[[柴田一家組織図(1980年代)]]
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