犬上郡次郎
犬上郡次郎(いぬがみ ぐんじろう、犬上軍次、別表記・犬上軍次郎)は幕末の侠客、博徒。
略歴
- 上野国館林の出身で、初名は田中小源太。
- 館林藩士であり、幼いころより柔術に才能があったため、扱心一流柔術家元の犬上郡兵衛永昌の跡を継いだ。
- 安政2年(1855)か4年(1857)年に(または4年か6年とも)、江戸の両国・吉原で若衆相手の大喧嘩をしたとされ、この時一度も刃物を抜かず、
全て躰裁きと当て身だけで翻弄したことから大層称賛された。しかし藩では許しておけず謹慎謹慎、入牢となる。
- その後、弟子の宮島弥助と共に館林の牢を抜け、甲州へ逃亡し博徒となる。
- 竹居安五郎の用心棒となるが、竹居安五郎を欺きその身柄を石和代官所に引き渡す。なおこの時、郡次郎は自らが加担した卑劣な策謀を
安五郎の前に膝をついて詫びたと言う。
- 後に、この裏切りを知った竹居安五郎の弟分の黒駒勝蔵により、元治元年(1864)10月17日、万福寺地内に隠れていたところを惨殺された。
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