青柳市松
本名・中込市松、甲州博徒。 油屋の市松とも。
文政4年(1821)~嘉永2年(1849)
富士川三河岸の一つ、甲州巨摩郡青柳村に生まれる。
津向文吉と縄張りを争った。
弟に寅之助あり。
甲府長禅寺前の坂折音五郎の子分であったが、兄弟で音五郎を殺し国を売る。
武州へ逃げ、田中一家の石原幸次郎、五明亀吉?と兄弟分になる。
嘉永2年、再び富士川へ戻り、文吉一派の目徳?を殺し、南部で井出久左衛門?へ殴り込みをかける。
その後は幸次郎と共に遠州相良の相良富五郎を海路攻めるが失敗する。
最後は大手配の末、身延大野の親戚の酒屋で、弟・寅之助と共に腹を切り果てた。