鶴酒藤兄弟会
鶴酒藤兄弟会(かくしゅとうきょうだいかい)は港湾荷役が発祥の暴力団の親睦団体。
略歴
神戸港
横浜港
東京湾
鶴酒藤兄弟会の設立
全国港湾荷役振興協会
- 1946年(昭和21年)、田岡一雄が山口組三代目を継承。
- 原田辰蔵の墓には戦後に作られた玉垣に鶴酒藤兄弟会として、横浜酒井組一同、鈴江組一同、酒井信太郎、荒井利喜蔵、鈴木亀吉、有尾岩次郎、鈴江繁一、大久保常吉、鶴岡政次郎、松本健太郎、門井鍋四郎、森川盛之助、阿部重作、駒井誠治、大久保秀雄、谷沢三起也、浅生山正夫、伊藤清蔵、斉藤敏三、横浜酒井組一同、藤原組一同、安藤龍太郎、小林福太郎、清瀬一夫、井上洋之助、高砂藤吉、笹田照一、高木康太、廣田敬次、荒井直、藤木幸太郎、田岡一雄、酒井大助、花島惣太郎、大沢勝吾郎、大石松男、山本繁男、佐藤軍治、漆原金一郎の刻名があり全国的な港湾ヤクザの繋がりが根深い事が隙間無く分かる。
- 1949年(昭和24年)4月1日、三代目山口組組長・田岡一雄が解散した鶴酒藤系の船内荷役業者を集め港胴会を結成。会長に就任。
- 1951年(昭和26年)山口組系の藤海運、三友運輸(昭和27年三友企業に改称)、山ノ内運輸、上栄運輸、扇港海運を設立。
- 1952年(昭和27年)1月17日、田岡一雄は港胴会を解消し港湾荷役協議会を結成し会長に就任した。その後山口組系の高砂運輸、岡村運輸を設立。
- 1953年(昭和28年)田岡一雄自ら甲陽運輸を設立。
- 1954年(昭和29年)山口組系の住井運輸を設立。
- 1955年(昭和30年)山口組系の安原運輸を設立。
- 1956年(昭和31年)8月、港湾荷役協議会は解散し全国港湾荷役振興協会(全港振)に発展。田岡一雄が副会長兼神戸支部長に就任。
- 1957年(昭和32年)山口組系の山一運輸を設立。
山口組の撤退
- 兵庫県警の山口組壊滅作戦が開始された。
- 1966年(昭和41年)三友企業・岡精義をはじめ全港振加盟の山口組系港湾荷役会社13社が山口組を脱退し、田岡一雄らも全港振神戸支部役員を辞任、全港振本部・神戸支部はともに解散した。
- 同年8月、新たに神戸船内荷役協会が設立。田岡一雄は甲陽運輸の役員を辞任させられ株式も一部を残し元請に売却。実子の田岡満が代表に就いた。岡精義と実子の岡新も三友企業、甲陽運輸、山一運輸、扇港海運、双和運輸の役員を辞任されられ、株式も売却。
- この項目は書きかけ項目です。
- 役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
- 編集される際は「テキスト整形のルール(詳細版)」をご覧下さい。
- 他のユーザーに編集協力を依頼する場合は、下記の【このページの編集依頼】または【加筆・編集依頼】から編集対象のページタイトル・編集内容をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。
- 運営宛に編集依頼する場合は【メールで編集依頼】から依頼して下さい。
- ※悪質な書き込み、誹謗中傷や悪戯、あらし行為、虚偽内容の依頼については情報開示手続きを取った上で厳正に対処いたします。
【他の利用者に編集協力を依頼する】