門広
門 広(もん ひろし)は日本のヤクザ。共政会・小原一家総長。
略歴
- 1930年(昭和5年)広島県生まれ、太平洋戦争が終戦し16歳で小原馨の若い衆となる。
- 門を襲って来た対立組織の組員を逆に殺害、そのまま交番に出頭し「いまあっちで人を殺したけん、逮捕しろ」と平然としており、警察は門の言う事を信じなく、何度も言われて仕方なく現場に向かったら間違い無く相手組員は亡くなっていたと、とても信じがたい話しも幾つもあり、またその事件以前に相手に刃物で刺された際、「上物の晒しじゃけん、血でも付いたら台無しじゃ」と、刺されたのにその場でまず晒を脱ぐ、そこで初めて手ぬぐいで傷を抑え、病院で傷口を縫合する時に、「麻酔したら治りが遅いけんね、麻酔は要らん、先生が縫いやすい様に立ったまま縫ってくんない」と突拍子の無い性格なので、後にヤクザ雑誌の編集者に「あん時は自分でもおかしな意地があっての、今のこの歳じゃ出来んわ」と笑って話す始末で、広島県を含め中国・四国地方・九州一部では問答無用のご意見番である。また長期服役しても、その長い懲役を逆に楽しんでしまう典型的な強者である。まず、他組織からも門を悪く言う人物が居ないばかりか、会合では門に握手を求めて来る執行部の面々が居た。その動画は現在に於いてもSNSで確認出来る。
- 「門ひろし」として作詞家や歌手として活動。作詞は昭和30年代から少しずつしており、共政会の会歌も獄中で作詞した、暫くすると森田祥生に詞が良いので曲をつけたらどうだと言われ、それがきっかけで自ら作詞した6つの詞に曲をつけ、3人の歌手が2曲ずつ歌う作品集「仁義不犯」が生まれた。
- 平成2年1月、61歳の時、自ら作詞した「空想」をセンチュリーレコードより発売し歌手デビューした。表紙は門が紋付き袴姿で、たった半月で約1万5000本売れたという。
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