工藤和義
工藤和義(くどう かずよし 1937年1月2日-2007年2月15日)は日本のヤクザ。指定暴力団・六代目山口組最高顧問、四代目國粹会会長。
略歴
- 北海道出身であり、17歳で東京に上京した。東京都台東区で知り合った金町一家系組員と親しくなり移住を決意した。
- 金町一家七代目を継承。
- 1991年、國粹会四代目を継承。
- 各一家総長との今後の運営方針を巡り協議を重ねる内に、各一家総長の高齢な立場による保守的考えが根強い事に危機感を抱き、國粹会執行部には四十代の若手を昇格させ若返りを模索、昇格させた者に盃を与え、同時に今までの連合組織から直参制の導入を強行させたが、ここで立場の保守的な総長らとの衝突が起きた。その衝突が次第に口論から発砲事件となり内部抗争に発展。五代目山口組若頭補佐・三代目山健組組長・桑田兼吉や五代目山口組若頭補佐・芳菱会総長・瀧澤孝がこの内部抗争に介入して問題を解決。
- 2005年(平成17年)9月7日、六代目山口組組長・司忍から舎弟盃を受け、最高顧問として加入。
- 2007年(平成19年)2月未明、組織間の親戚関係を維持していた住吉会に対し、住吉一家小林会と抗争が勃発し、住吉一家小林会系組長を四代目國粹会傘下組員が射殺した。六代目山口組最高顧問の立場と、今まで親戚関係を維持して来た工藤は窮地に立たされ板挟みに追いやられる。
- 同年2月15日、都内の自宅で遺体で発見。拳銃にて頭部を貫いた状態で自殺と断定された。
- この項目は書きかけ項目です。
- 役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
- 編集される際は「テキスト整形のルール(詳細版)」をご覧下さい。
- 他のユーザーに編集協力を依頼する場合は、下記の【このページの編集依頼】または【加筆・編集依頼】から編集対象のページタイトル・編集内容をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。
- 運営宛に編集依頼する場合は【メールで編集依頼】から依頼して下さい。
- ※悪質な書き込み、誹謗中傷や悪戯、あらし行為、虚偽内容の依頼については情報開示手続きを取った上で厳正に対処いたします。
【他の利用者に編集協力を依頼する】