#author("2025-06-20T13:40:29+09:00","","") #author("2025-06-20T18:04:45+09:00","","") * 竜泉寺一家 [#k64c3e08] ''竜泉寺一家''(龍泉寺一家、りゅうせんじいっか、別名・小幡一家)は現在の愛知県名古屋市守山区に本拠を置いた博徒系暴力団。 ** 略歴 [#pf33ae6f] -明治維新の頃、尾張侯の足軽となり柔剣角力に勝っていた[[竜泉寺浜五郎]]が博徒となり尾張国東春日井郡志段味村竜泉寺または同郡小幡村に一家を興し、多数の子分を養った。 -明治10年頃、[[竜泉寺浜五郎]]が死去。子分の[[竜泉寺長四郎]]が二代目を継承。 -明治25、26年頃、[[竜泉寺長四郎]]は北海道に渡り行方不明となる。 -その後、[[小幡金右衛門]]が三代目を継承。金右衛門は小幡に住んだためこの頃''小幡一家''ともいわれた。 -元来小さな一家であり、当時勢力が大きな[[瀬戸一家]]、[[平野屋一家>平野家一家]]に挟まれていたため独立困難となり、[[瀬戸一家]]二代目・[[井上金之助>瀬戸金之助]]の舎弟となる。 -子分は[[松田勘次郎]]、小幡広造こと長谷川広次郎が傑出していた。 -明治22、23年頃、[[小幡金右衛門]]が引退。[[松田勘次郎]]が四代目を継承。 -勘次郎は[[平野屋一家>平野家一家]][[伊勢町派>平野屋一家伊勢町]]初代・志知万次郎の世話内となり[[平野屋一家>平野家一家]]の配下となる。 -明治39年頃、[[松田勘次郎]]が引退。[[浅見楽五郎]]こと浅見楽三郎が五代目を継承。 -大正10年、[[浅見楽五郎]]が死去。勝重こと三浦金次郎が六代目を継承。 -以来、名古屋市は[[平野屋一家>平野家一家]]の身内として、郡部は[[瀬戸一家]]の身内として存在した。 -昭和50年頃の縄張りは名古屋市(大曽根町、出来町、上飯田町、下飯田町、鍋屋上野町)、東春日井郡(守山町、志段味村、旭村印幡)。 -昭和3年、三浦金次郎が死去。子分の谷口米太郎が七代目を継承。 -子分に名のある者は中村辰之助こと中村等、西田一松、田辺竹治郎こと田辺竹治、田辺助三郎、破れ鍋こと矢野鍋四郎、尾関金五郎、塚本伝四郎、永谷鹿三郎ら。 -昭和初期の縄張りは名古屋市(大曽根町、出来町、上飯田町、下飯田町、鍋屋上野町)、東春日井郡(守山町、志段味村、旭村印幡)。 ** 竜泉寺一家系譜 [#g247c51e] 初 代 - [[竜泉寺浜五郎]] 二代目 - [[竜泉寺長四郎]](または長兵衛) 三代目 - [[小幡金右衛門]]こと浅井金右衛門 四代目 - [[松田勘次郎]] 五代目 - [[浅見楽五郎]]こと浅見楽三郎 六代目 - 三浦金次郎 七代目 - 谷口米太郎 //竜泉寺一家、龍泉寺一家、小幡一家 ---- -この項目は書きかけ項目です。 -役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。 -編集される際は「[[テキスト整形のルール(詳細版)>FormattingRules]]」をご覧下さい。 -他のユーザーに編集協力を依頼する場合は、下記の【このページの編集依頼】または【[[加筆・編集依頼]]】から''編集対象のページタイトル・編集内容''をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。 -運営宛に編集依頼する場合は【[[メールで編集依頼]]】から依頼して下さい。 -&color(red){''※''};悪質な書き込み、誹謗中傷や悪戯、あらし行為、虚偽内容の依頼については情報開示手続きを取った上で厳正に対処いたします。 ---- 【他の利用者に編集協力を依頼する】 #comment ~