浜本政吉
浜本政吉(はまもと まさきち、1917年-1995年)は、博徒、実業家。住吉会最高顧問、浜本兄弟会会長。ハマ・エンタープライズ社長。通称はバカ政、赤坂の天皇、赤坂の帝王と言われ映画化された。
略歴
- 1917年(大正6年)石川県七尾市に生まれ、「筆おろし」は小学生のときであるという。少年時代に関西に出向き愚連隊を束ねていたころ、ボンノと呼ばれる国際ギャング団頭領の菅谷政雄(のちの菅谷組組長)と知り合った。
- 1939年(昭和14年)東京に上京し、芝浦・荒井組に預けられ、後の向後初代・向後平と出会い兄貴と呼び、住吉一家三代目・阿部重作の若衆となった。
- 1956年(昭和31年)浅草妙清寺事件により服役し、出所後銀座高級クラブオーナーである上海お照と結婚した。上海お照は浜本よりも年上で、浜本政吉は40歳を超え初婚であり、この頃から宝石関連の実業家になった。しかしながら結婚し人間として落ち着いたかに見えても、大手週刊誌の取材で住吉連合会会長の西口茂男にインタビューし、「今まで西口さんでも怖いと思う方もいらっしゃるのですか?」との問いに、西口曰く「やっぱり浜本の兄貴は怖かった」とのこと。
- 住吉会内外を問わずの任侠界に、一次団体会長または役付きの重鎮を、多数舎弟・子分を持ち、それらは浜本を慕い浜本兄弟会として親睦を深めた。
- 三代目山口組若頭補佐・菅谷組組長である菅谷政雄とは、菅谷が愚連隊時代の時から大変仲が良く、赤坂や銀座で菅谷と飲食するときも多かった。特に赤坂に所在した高級ナイトクラブ・ニューラテンクォーターには浜本と菅谷で来店していたと、社長でありオーナーの山本信太郎氏が後に述べている。
- 1995年(平成7年)脳梗塞によるリハビリを続けていたが、合併症を併発し78歳で死去。
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