竹内徳次郎
竹内徳次郎(たけうち とくじろう、通称・飴屋の徳次郎、飴徳、飴屋の徳)は明治の侠客、香具師。飴徳宗家初代。
略歴
- 大阪府出身。
- 横浜に流れ着き飴売りの的屋となった。
- 実兄は大阪で飴安と称し同じ稼業をした。
- 飯島源次郎、金子保太郎と兄弟分。
- 人柄は良かったものの若衆を育て上げる能力に欠け、竹内のもとに若者がゲソをつけると、兄弟分の飯島源次郎のもとに送り込んでいた。また、跡目決定にも優柔不断であり、的屋稼業よりも飴屋の商店に力を入れていた。
- 桜井庄之助という有力な若衆がいたものの、最初跡目候補に富士根秀次郎をあげ、本人が辞退すると
衆目は桜井庄之助であろうと一致していたが、次は雨宮徳次郎を候補にした。
大正3年、桜井庄之助は跡目問題に辟易したのか横浜を離れ沼津に行っている。その際桜井の片腕と言われた肥後盛造に横浜を任せた。
- 盛代一家との抗争で名を挙げた肥後盛造を跡目に選び、桜井庄之助とも相談の上決定した。
- 大正10年秋、引退。桜井庄之助は沼津で新たに東海道桜井一家を興す。
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