#author("2025-08-23T14:46:25+09:00;2025-08-23T14:42:05+09:00","","") #author("2025-08-23T15:05:51+09:00;2025-08-23T14:42:05+09:00","","") * 柴田一家 [#cafec17c] ''六代目柴田一家''(しばたいっか)は[[新潟県新発田市中央町3-6-4:https://maps.app.goo.gl/Pv74bbXFigRzT9je8]]に本部を置く暴力団で、指定暴力団・[[稲川会]]の二次団体。 #ref(稲川会/稲川会.jpg,right,nowrap,画像) ** 略歴 [#r354379b] //もとは[[源清田]][[島影>島影一家]]一門か。 -山梨県出身の小林隆英が若くして郷里を離れ名古屋に移る。 -小幡半四郎こと柴田半四郎のもとで興行を学ぶ。半四郎は小幡村(現在の名古屋市守山区)で力持ちを売りに薬を売る香具師の親分であった。 -明治31年、半四郎の子分となり、柴田隆英を名乗る。 -19歳で独り立ちし、芝居一座を持つ。 -21歳の時、新潟県中蒲原郡新津町の長谷川家の婿養子となるが、その後も興行では柴田姓を名乗る。 -1922年(大正11年)、曲馬団を始め、柴田曲馬団を結成。翌年大橋粂次郎一座を吸収し拡大。柴田大曲馬団と改称。大橋粂次郎も半四郎の子分であり、明治31年に曲馬団を結成した先輩であった。 -1927年(昭和2年)春、公演中の熊谷市で刺殺される。行年45歳。 -長男・長谷川秀市(当時24歳)、次男・長谷川高次(当時22歳)により再出発。秀市が二代目柴田隆英を名乗り、高次は柴田隆治と名乗った。 -1933年(昭和8年)、シバタサーカスと改称する。 -1938年(昭和13年)、東京蒲田で開演中に火災を起こす。 -二代目柴田隆英こと長谷川秀市は仮設興行から退き、映画館経営を行ったため、サーカス団経営は柴田隆治が引き継いた。 -1942年(昭和17年)、大阪出の村上サーカス団を吸収。 -戦時中は猛獣をすべて薬殺したが、戦後に黒須、管野、豊田、ラッキーの4団体を吸収し再興。 -1963年(昭和38年)、シバタ大サーカスが解散。柴田一家として暴力団となる。 -二代目の頃に[[稲川会]]に加入。 ** 柴田一家系譜 [#de17c439] 祖 - 柴田隆英こと長谷川隆英 祖 - 柴田隆英こと長谷川秀市 初 代 - 柴田隆治こと長谷川高次 //長谷川考次とも 二代目 - [[小林昭夫]]([[稲川会]]新潟地区相談役) 三代目 - [[荒海俊充]]([[稲川会]]直参) 四代目 - 嶋津郁夫([[稲川会]]直参) 四代目 - [[嶋津郁夫]]([[稲川会]]直参) 五代目 - [[山形平四郎]]([[稲川会]]直参) 六代目 - [[伊保橋大]] 六代目 - [[伊保橋 大>伊保橋大]] ** 六代目柴田一家組織図 [#n6526ff6] 総 長 - [[伊保橋大]]([[稲川会]]直参) 総 長 - [[伊保橋 大>伊保橋大]]([[稲川会]]直参) ** 過去の組織図 [#z5a2ff0c] -[[柴田一家組織図(1980年代)]] ---- -この項目は書きかけ項目です。 -役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。 -編集される際は「[[テキスト整形のルール(詳細版)>FormattingRules]]」をご覧下さい。 -他のユーザーに編集協力を依頼する場合は、下記の【このページの編集依頼】または【[[加筆・編集依頼]]】から''編集対象のページタイトル・編集内容''をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。 -運営宛に編集依頼する場合は【[[メールで編集依頼]]】から依頼して下さい。 -&color(red){''※''};悪質な書き込み、誹謗中傷や悪戯、あらし行為、虚偽内容の依頼については情報開示手続きを取った上で厳正に対処いたします。 ---- 【他の利用者に編集協力を依頼する】 #comment ~