木暮初太郎
木暮初太郎( - 1966年1月)は日本の香具師。木暮一家初代。
略歴
- 札幌市出身。
- 木暮一家祖・木暮留吉の長男。二代目・木暮英雄は息子。
- 明治41年、父である木暮留吉が死亡後、稼業を継ぎ、やがて小暮一家を創設した。
- 石狩川沿岸の顔役・大木新兵衛の食客だった。
- 博徒・一丁一家の二代目・須貝富蔵とは四分六分の兄弟分。
- サーカス団「日本サーカス(前身は吉田享楽舞踏団)」団長であり、「有田洋行会」オーナーでもあった。
「有田洋行会」は明治中期に会津藩の元足軽頭だった有田栄三郎によって創立された一座で、小鳥を使った辻芸から始まり、後にサーカス団となった。明治23年には朝鮮へ渡るまでに発展、一座の名は王家に招かれたのを記念し伊藤博文が命名した。魔術の女王と呼ばれた団員の有田芳子(明治40年生。5歳の時、有田栄三郎の二男・栄松の養女になる)が有田栄三郎の一男・栄吉の長男である栄一と結婚し夫とともに一座を率いた。その後、北海道公演の際、木暮初太郎と知り合って結ばれた。
「有田洋行会」は木暮初太郎の老齢化と後継難から昭和38年、幕を閉じた。
- 日本仮設興行協組常任相談役。
- 昭和41年1月沒。
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