長尾照治
長尾照治は日本のヤクザ。住吉会特別顧問、藤川会二代目。奥州西海家横田四代目藤川二代目。
略歴
- 1928年(昭和3年)10月、仙台市生まれであり、宮城高校時代はいっぱしの不良学生で暴れ過ぎがたたり中退。太平洋戦争の戦後は、駅前を根城とする不良グループの一員だったが、やがて小坂明治の若い衆となる。
- 1947年(昭和22年)9月10日、19歳の時に行商で北海道へ渡り、北見・津別町で起きた「津別事件」に巻き込まれた。この津別事件は第二次世界大戦の戦後、在日朝鮮人が道内の露店を荒らす様になり、当時露店を仕切る的屋はこの朝鮮人の暴挙に日頃から憤り、次第に反感を募らせていった。夜も更けた午後11時20分頃、朝鮮人側から打ち上げ花火の様な物が的屋側に落下した。これをきっかけに両者は激突、町民も的屋側に加勢して投石した。乱闘は約30分間続いた。この衝突で、朝鮮人側に死者2人・重軽傷者19人、的屋側に軽傷者6人を出した。朝鮮人を斬った長尾照治は網走刑務所に3年半服役。
- 網走刑務所から出所した長尾は、その後、藤川勝治が小坂の一家名乗りを許された折り、本郷寿男と小坂に送り込まれ、藤川勝治の若い衆となった。後に本郷寿男とともに藤川分家を名乗った。
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