森会
七代目森会(もりかい)は徳島県小松島市小松島町北浜93-10に本部を置いた的屋系暴力団で、指定暴力団・六代目山口組の三次団体であった。上部団体は心腹会。
主要施設
三代目森会本部 -徳島県徳島市栄町2-31
四代目森会本部 -徳島県徳島市西大工町1-11
六代目森会本部 -徳島県小松島市小松島町北浜93-10
四代目本家 -徳島県徳島市西山手町20西山手ビル
五代目本家 -徳島県小松島中田町浜田23-31
六代目本家 -徳島県徳島市多家良町北内109-4
略歴
- 森宇平によって大正年間に興された四国の名門的屋組織。
- 昭和29年、平井龍夫が三代目を継承すると急速に勢力を拡大。
- 昭和31年、三代目山口組・二代目小天竜組と抗争事件を起こす。
- 三代目・平井龍夫は四国神農連合結成の中心となり会長も務めた。
- 平成3年10月、三代目・平井龍夫が死去。副会長の郡山哲夫(郡山組組長)が会長代行に就任。
- 平成4年、会長代行の郡山哲夫(郡山組組長)が四代目を継承。
- 平成11年2月、理事長の津田 聡(津田組組長)が五代目を継承。
- 平成11年9月、四代目会長・郡山哲夫が五代目会長・津田 聡を射殺し、直後に自らも頭を撃って自殺する発砲事件が発生。
- 事件後、徳島県警は露店から森会を排除する取り組みを展開。離脱する組員が相次いだ。
- 平成12年、清川英昭が六代目を継承。独立組織として活動を続けたが、平成13年には山口組・山健組からの圧力もあって、山口組・尾崎組に加入。
- 清川英昭は尾崎組舎弟頭補佐・舎弟頭などを歴任。二代目心腹会では副会長を務めていた。
- 平成24年3月、清川英昭は引退。渡辺喜典が七代目を継承。
- 平成24年7月、渡辺喜典は解散届を徳島県警に提出。
森会系譜
初 代 - 森 宇平
二代目 - 森 勝衛
三代目 - 平井龍夫
四代目 - 郡山哲夫(郡山組組長)
五代目 - 津田 聡(津田組組長)
六代目 - 清川英昭
七代目 - 渡辺喜典?
組織図
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