関矢組
関矢組(せきやぐみ、大阪関矢組)は大阪府大阪市に本拠を置いた的屋系暴力団。
略歴
- 伊勢国関にいた武士で弓矢の指南役をしていた万吉が浪人となり四天王寺付近に住み着いた。
- 四天王寺には参拝客目当ての商人が多く出入りしていたが争いが絶えず、万吉の人柄を見込んだ四天王寺に露店を仕切るよう持ちかけられる。
- 1782年(天明2年)、万吉はこれを受け生国の関と弓矢の矢を合わせて関矢万吉と名乗り、四天王寺を庭場とする家名を立てる。
- 代々関矢万吉を襲名し、組長の隠居は行われず、組長が死亡すると組員の相違で次期組長が選ばれる終生組長制度をとる。
- 大正14年の資料に七代目関万・関矢万吉は小林兵吉配下とある。
- 関西神農連合会に加盟。連合会発足の昭和4年当時の組長は高野重吉。
- 昭和16年頃は代表・楠見惣十郎。
- 昭和36年当時は大阪九代目関矢組。組長は米田米蔵。
- 昭和62年当時は十二代目組長・松本俊一。
関矢組系譜
初 代 - 関矢万吉
代目不詳 - 高野重吉
代目不詳 - 楠見惣十郎
二代目 -
三代目 -
四代目 -
五代目 -
六代目 -
七代目 -
八代目 -
九代目 - 米田米蔵
十代目 -
十一代目 -
十二代目 - 松本俊一
関矢組組織図(1961年)
組 長 - 米田米蔵
実子分 - 笠松 清
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