#author("2025-09-15T20:17:44+09:00;2025-09-15T20:12:37+09:00","","") #author("2025-09-15T20:17:50+09:00;2025-09-15T20:12:37+09:00","","") * 木佐貫真照 [#c3e40db6] ''木佐貫真照''(きさぬき まさあき 1946年8月16日-)は日本のヤクザ。指定暴力団・六代目[[山口組]]・四代目[[弘道会]]・二代目[[野内組]]・[[権太会]]最高顧問、[[木佐貫興業]]組長。 ** 人物 [#c761ab91] -鹿児島県桜島出身。 -ノンフィクション作家。フリーライター。 -政治結社「大日本貫勇塾」塾長。(解散) -薬物依存者更生支援団体「日本達磨塾」元塾長(創設者)。 -犯歴は前科12犯、服役年数累計30年。 -覚醒剤の密売を始めて約40年あまりで200キロ量の覚醒剤を売りさばき、「シャブ極道」として名を馳せた。 *** 著書 [#jb7bed75] --1993年10月01日、「シャブ屋」 --2000年02月、「実録シャブ屋(Ⅰ)」 --2001年06月、「実録シャブ屋(Ⅱ)ふたたび」 --2003年03月、「実録シャブ屋(Ⅲ)みたび」 --2007年07月、「改訂版 実録シャブ屋」 --2018年08月27日、「シャブ屋の懺悔 西成密売四十年」 --2020年02月28日、「浪花のシャブ外道」 ** 略歴 [#z0a9c515] -15歳で佐世保初等少年院に送致され、福岡中等少年院、佐賀少年刑務所と送られた。 -18歳の時、地元組織で渡世入り。 -22歳の時、大阪・尼崎の独立組織「[[関西護国団]]」団長・谷田哲雄の舎弟となり、29歳で[[関西護国団]]の若頭に就任し、大阪府大阪市の上本町6丁目に「木政興業」を旗揚げした。 -1985年(昭和60年)6月までの約10年間、若頭として[[関西護国団]]を束ねた。 -1983年(昭和58年)には淀川区十三本町に「亜城総業」を設立。 -のちに、[[関西護国団]]の副団長となるも、銃刀法違反、薬取締法違反、覚醒剤取締法違反等で刑務所入りを繰り返した。 -1997年(平成9年)8月、懲役4年6ヶ月の判決を受け服役。 -秋田・青森刑務所を満期出所。 -五代目[[山口組]]・[[山健組]]・[[太田興業>太田興業(神戸山口組)]]・[[太田守正]]の舎弟となり、大阪市浪速区大国町で「[[木佐貫興業]]」を旗揚げした。 -2001年(平成13年)2月、無免許運転で逮捕され、懲役2年6ヶ月の実刑判決を受け神戸刑務所に服役。 -服役中に執筆した「実録シャブ屋」の出版が問題視され、[[太田興業>太田興業(神戸山口組)]]から破門となる。 -2003年(平成15年)8月、出所。 出所後に栃木県佐野市に移住し、政治結社「大日本貫勇塾」を設立し、右翼活動に専念していたが諸事情により大日本貫勇塾は解散。 -2006年(平成18年)9月、栃木県佐野市から大阪に戻る。 -2007年(平成19年)3月、道交法違反、業務上過失致死の罪で懲役5年の判決を受け、京都、横浜刑務所で服役。 -2012年(平成24年)6月、満期で出所。 -贖罪の意味を込め、大阪市内で薬物依存者更生支援団体「日本達磨塾」を設立し、塾長として薬物に関する講演活動や執筆活動など行っていた。 -「日本達磨塾」を後任に譲り、六代目[[山口組]]・三代目[[弘道会]]・[[野内組]]・[[権太会]]の最高顧問に就任、渡世に復帰した。 ---- -この項目は書きかけ項目です。 -役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。 -編集される際は「[[テキスト整形のルール(詳細版)>FormattingRules]]」をご覧下さい。 -他のユーザーに編集協力を依頼する場合は、下記の【このページの編集依頼】または【[[加筆・編集依頼]]】から''編集対象のページタイトル・編集内容''をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。 -運営宛に編集依頼する場合は【[[メールで編集依頼]]】から依頼して下さい。 -&color(red){''※''};悪質な書き込み、誹謗中傷や悪戯、あらし行為、虚偽内容の依頼については情報開示手続きを取った上で厳正に対処いたします。 ---- 【他の利用者に編集協力を依頼する】 #comment ~