織田絆誠
織田絆誠(おだ よしのり、本名・金禎紀(キム・チョンギ)、1966年10月23日- )は日本のヤクザ。指定暴力団・絆會会長。
略歴
- 1966年、大阪府大阪市に在日韓国人3世として生まれる。
- 1984年、18歳で酒梅組・張本組で渡世入りし、数年後には張本組若頭に昇格したが、山口組との抗争を避ける酒梅組に嫌気が差し、断指して脱退した。
- 1988年、四代目山口組・倉本組の若衆となり、後に織田興業を立ち上げる。
- 1989年、山竹抗争を機に倉本広文のボディーガードに登用され、倉本組幹部に昇格。
- 1990年、山波抗争で逮捕。懲役12年の判決を受けて服役中に、倉本組若頭補佐に昇格。また刑務所で健竜会幹部・井上邦雄と出会う。
服役中に倉本広文が急死。倉本組は倉心会と貴広会に分裂した。
- 2001年ごろ、刑務所を出所して地元大阪で織田興業を再結成。倉心会最高顧問・黒竜会?会長・山本竜五郎を介して三代目山健組・四代目健竜会会長・井上邦雄と再会し、井上の盃を受けて四代目健竜会直参となる。
- 2003年ごろ、四代目健竜会若頭補佐に昇格。
- 2004年、三代目山健組直参に昇格。
- 2005年、井上邦雄が山健組の四代目を継承すると、織田興業を邦尽会に改称して二代目に譲る。自身は一人親方になり、四代目山健組で本部長代行、本部長、若頭補佐を歴任。
- 2014年10月、傷害容疑で逮捕。
- 2015年8月、四代目山健組組長・井上邦雄に準じて六代目山口組を離脱。神戸山口組若頭補佐に就任し、四代目山健組本部長と兼任する。
- 同年9月、神戸山口組若頭代行に就任。
- 同月、四代目山健組副組長に就任。
- 2017年4月、井上邦雄と反目し神戸山口組を脱退。任俠団体山口組を結成し代表に就任。同時に神戸山口組と四代目山健組から絶縁。
- 同年8月、任俠団体山口組を任侠山口組に改称。
- 同年、任侠山口組と神戸山口組・太田興業が親戚団体となるが、神戸山口組とは敵対したままであった。
- 同年9月12日午前10時ごろ、神戸市長田区の自宅近くの路上で襲撃される。
織田の乗る車3台が脇道から幹線道路に入る際、襲撃グループの車が道を塞ぐように先頭車両に衝突し、2台目の車から降りた織田のボディーガード・楠本勇浩が銃撃され即死。襲撃者は全員現場から逃走した。兵庫県警は、殺人容疑で四代目山健組・二代目一勢会組員・黒木龍己を指名手配した。
- 2022年6月6日午後10時ごろ、神戸市長田区の自宅に軽自動車が突入する。翌7日未明に無職の男が実行犯として、建造物損壊の容疑で逮捕された。
- 2024年7月9日、池田組組長・池田孝志が2020年2月に織田所有の不動産を担保に約1億円の融資をした際、池田孝志の親族から融資されたとする虚偽の登記をしたとして、池田と共に電磁的公正証書原本不実記録・同供用容疑で大阪府警に逮捕された。
- 同月30日、処分保留となり釈放。同年9月9日付で不起訴となった。
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