木佐貫真照
木佐貫真照(きさぬき まさあき 1946年8月16日-)は日本のヤクザ。指定暴力団・六代目山口組・四代目弘道会・二代目野内組・権太会最高顧問、木佐貫興業組長。
人物
- 鹿児島県桜島出身。
- ノンフィクション作家。フリーライター。
- 政治結社「大日本貫勇塾」塾長。(解散)
- 薬物依存者更生支援団体「日本達磨塾」元塾長(創設者)。
- 犯歴は前科12犯、服役年数累計30年。
- 覚醒剤の密売を始めて約40年あまりで200キロ量の覚醒剤を売りさばき、「シャブ極道」として名を馳せた。
著書
- 1993年10月01日、「シャブ屋」
- 2000年02月、「実録シャブ屋(Ⅰ)」
- 2001年06月、「実録シャブ屋(Ⅱ)ふたたび」
- 2003年03月、「実録シャブ屋(Ⅲ)みたび」
- 2007年07月、「改訂版 実録シャブ屋」
- 2018年08月27日、「シャブ屋の懺悔 西成密売四十年」
- 2020年02月28日、「浪花のシャブ外道」
略歴
- 15歳で佐世保初等少年院に送致され、福岡中等少年院、佐賀少年刑務所と送られた。
- 18歳の時、地元組織で渡世入り。
- 22歳の時、大阪・尼崎の独立組織「関西護国団」団長・谷田哲雄の舎弟となり、29歳で関西護国団の若頭に就任し、大阪府大阪市の上本町6丁目に「木政興業」を旗揚げした。
- 1985年(昭和60年)6月までの約10年間、若頭として関西護国団を束ねた。
- 1983年(昭和58年)には淀川区十三本町に「亜城総業」を設立。
- のちに、関西護国団の副団長となるも、銃刀法違反、薬取締法違反、覚醒剤取締法違反等で刑務所入りを繰り返した。
- 1997年(平成9年)8月、懲役4年6ヶ月の判決を受け服役。
- 秋田・青森刑務所を満期出所。
- 五代目山口組・山健組・太田興業・太田守正の舎弟となり、大阪市浪速区大国町で「木佐貫興業」を旗揚げした。
- 2001年(平成13年)2月、無免許運転で逮捕され、懲役2年6ヶ月の実刑判決を受け神戸刑務所に服役。
- 服役中に執筆した「実録シャブ屋」の出版が問題視され、太田興業から破門となる。
- 2003年(平成15年)8月、出所。
出所後に栃木県佐野市に移住し、政治結社「大日本貫勇塾」を設立し、右翼活動に専念していたが諸事情により大日本貫勇塾は解散。
- 2006年(平成18年)9月、栃木県佐野市から大阪に戻る。
- 2007年(平成19年)3月、道交法違反、業務上過失致死の罪で懲役5年の判決を受け、京都、横浜刑務所で服役。
- 2012年(平成24年)6月、満期で出所。
- 贖罪の意味を込め、大阪市内で薬物依存者更生支援団体「日本達磨塾」を設立。
薬物に関する講演活動や執筆活動など行っていた。
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