向井繁人
向井繁人は日本の元ヤクザ、実業家。永宝商会社長。
略歴
- 広島県納美島で中下周松の子として生まれる。兄が2人、姉が5人いたが、父は1歳の頃に死去。
- 明治43年、7歳の時に父の弟向井峰太郎の養子となる。
向井峰太郎は永宝組、向井峰太郎商店という運送会社・はしけ会社を経営していた。
- 中学校には進学せず向井峰太郎商店を手伝う。
- 義父には可愛がられたが継母に冷たくされ家出を繰り返すが連れ戻される。
- 17歳の時、自ら勘当されるため竜の刺青を入れ家を出る。
- 生田神社付近で不良の兄貴分となる。
- 当時の神戸には大島、新家、五島、石川などの組があったが、それらには属さなかった。
- 大正11年、軍に入隊。
- 大正13年、満期除隊。
- 家に戻り向井峰太郎商店に入り事業を拡大。港湾荷役業を行う。
- 大正15年、26歳の頃結婚。
- 昭和7年、港湾荷役業者で神戸永宝連合会を結成。
- 戦前、山口登と交流があった。
- 神戸港の実力者となり、本多仁介、笹田照一、鶴岡政次郎、藤木幸太郎とともに港の顔役となった。
- 三代目山口組と本多会の抗争を仲裁している。
- 79歳で死去。
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