大西政寛
大西政寛(おおにし まさひろ・通称・悪魔のキューピー・1923年 - 1950年1月18日)は日本のヤクザ。土岡組舎弟。
略歴
- 1923年(大正12年)、広島県賀茂郡広村小坪(現:呉市広小坪)に出生。2年後に父母が離婚しており、同年に父が死亡。以降、祖母に育てられた。
- 1930年に尋常小学校へ入学。その5年に祖母が死去すると、当時幼馴染と再婚していた母の元へと引き取られた。翌1936年に尋常小学校高等科1年へ進級。同年、尋常小学校高等科の教師を文鎮で殴打し、即日退校を命じられた。退校後、義父の紹介で造船のカシメ職人となり、向井組?の若衆となった。向井組?の組長は向井信一?であった。向井組?は呉市東泉場の市場の裏にあった。
- 1939年、作業が終わり飲食店で飲んでいた時に、大西を見下し酒に酔った軍人が徐々にエスカレートし激高した大西は、店から刺身包丁を取り出し軍人に数十か所も刺して絶命させてしまう。その時の勾留先で美能幸三を知り、舎弟にした。この時には土岡 博の賭場場を出入りしていた一回りも年下の波谷守之を既に舎弟にしている。大西に狙われたら死を意味するので、大西の実力は独占していた。
- 1943年、太平洋戦争で赤札が届き徴兵され広島第五師団に入隊した。
- 1946年3月、終戦し中国から広島へ復員した。
- 1950年1月4日、呉市本通り5丁目を妻と歩いていて冷やかされ、大西輝吉?ら3人と口論となった。一旦その場は収まったものの、野間範男?ら山村組若衆が大西輝吉?を探し出した。
- 同日午後5時40分頃、呉市和庄通り4丁目の高日神社で、大西は大西輝吉?を射殺した。呉警察署は大西を指名手配。
- 同年1月17日夜、呉警察署に「大西政寛が、呉市東鹿田町の山村組関係者・岩城義一宅に潜んでおり、明日早朝には大学生に変装して関西方面に高飛びする手筈になっている」という密告が寄せられた。
- 同年1月18日午前1時30分、呉警察署の警官隊40人が、雨の中岩城義一宅を包囲し、午前3時、数田理喜夫警部補らが岩城義一宅に入った。屋内を探したが発見出来ず、炬燵の布団をめくったところ中に潜んでいた大西は拳銃を乱射し、数田理喜夫警部補と鞆井清刑事を射殺した。自らは窓から逃れようとした大西は川相刑事に射殺された。享年27歳。
- 地元でお祭りを見学しに来た小原組組長の小原が、偶然にも対立組織の土岡 博の舎弟・大西政寛(通称・悪魔のキューピー)が見つけ、小原を拉致し小原の腕を日本刀で斬りつけ切断させる事件が発生した。
- 普段はベビーフェイスな温厚なのだが、一旦怒りが増すと眉間に縦しわが入り鬼の表情になる事から、世間では悪魔のキューピーと恐れられていた。
- 大西の舎弟に波谷守之、美能幸三などの金筋ヤクザが居る。
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