#author("2023-03-06T01:49:14+09:00","","")
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*山梨巳之助 [#sc13041f]
&size(16){''山梨巳之助''(やまなしの みのすけ、本名・松井巳之助)は幕末の博徒。[[山梨一家>山梨一家(静岡県)]]初代。};
**略歴 [#b49644e6]
-静岡県袋井の人。
-子分に[[堀越藤左衛門]]、[[森五郎八]]、[[四角山周吉]]、[[大和田友蔵]]。
-[[大前田英五郎]]と兄弟分とも。
-[[森五郎>森五郎八]]が間違いを起こしたため、巳之助が五郎を殺害しようとしていたところを[[間ノ川又五郎]]が間に入って五郎を救った。
-[[大和田友蔵]]の子分の首を斬って首実検を行い、それがもとで遠島となる。島抜けを試みるものの失敗し、鈴が森で処刑される。
巳之助の用心棒格に竹という暴れ者がいて、[[大和田友蔵]]の子分・藤五郎と揉めた。藤五郎は温厚な人物であったらしいが、竹が執拗に絡んできたため、ある日とうとう賭場から追いだすという仕打ちに打って出た。これを恨んだ竹は藤五郎の家に行き、藤五郎を出せと女房のやすに凄んだ。藤五郎は二階で寝ていたが、やすは事を察し、亭主は留守にしていると嘘をついた。ところが竹はそのまま土足で階段を上がり始め、これに狼狽したやすは夫の長脇差で、思わず下から竹を突き刺し殺してしまう。友蔵は自分の子分が巳之助の身内を殺してしまったことに慌て、何はともあれ藤五郎を逃がし、その上で巳之助に事を詫びに行った。ところが好々爺の巳之助と世間話をしている内に、ついに言葉が出ず、長時間を費やしてしまったところで、巳之助の居候・相撲上がりの[[四角山周吉]]が突然巳之助に事の真実を告げた。巳之助は火の様に怒り、友蔵を攻め、すぐに藤五郎の探索に子分を向かわせるが、既に逃げた後であった。友蔵は平謝りに謝ると共に、藤五郎が上手く逃げたことに胸をなでおろした。ところが、常々友蔵を嫌っていた[[四角山周吉]]は執念深く藤五郎を追いかけ、二、三日の後、とうとう隠れ家を突き止め、藤五郎の首を取ってしまった。四角山は藤五郎の首を持ち帰り、親分巳之助に首実検をするように願い出た。さすがにこの申し出に、[[堀越藤左衛門]]や、[[森五郎>森五郎八]]は大反対するが、巳之助も年をとり耄碌していたのか、とうとう一家で場を立て、これを行う事に決めた。ここに至って友蔵は巳之助と全面から闘う腹を決める。友蔵は藤五郎の妻やすを[[安東文吉]]の所へ遣り、事の次第を話し助力を要請した。首実検の話を聞いた文吉は即座に[[柳新田政蔵]]、[[安西吉五郎]]に一団を率いさせ、掛川へと向かわせ、巳之助の用意していた一団を打ち破り、とうとう巳之助をお縄にする。ちなみにこの時、巳之助勢の中に四角山は既におらず、一早く逃げた後だった。
-八丈島流人帳に万延元年四月流罪、同十月十一日抜舟露顕、十月二十三日病死とある。
-万延元年9月11日または万延元年10月13日歿。行年53歳。墓所は静岡県袋井市上山梨の用福寺。
-跡目は[[森五郎八]]が継ぐ。
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