#author("2023-01-26T01:41:33+09:00","","")
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*伊野亀吉 [#eb0f9c4a]
&size(16){''伊野亀吉''(いの かめきち、通称・蕎麦亀、蕎麦屋亀吉)は幕末から明治の侠客、博徒。[[一ノ宮一家]]三代目。};
**略歴 [#kccff90a]
-天保7年(1836年)生まれ。
-八王子、三多摩地区一帯を縄張りとする博徒で、当時、江戸、甲州、伊豆、上州まで名を知られた親分であった。
-初め甲州の[[一ノ宮万平]]の子分となり、博徒の道に入る。
-25歳の時、親分万平が死亡してからは、伊豆の[[大場久八]]の身内となる。
-明治になり[[大場久八]]が博徒から足を洗ったため、故郷の八王子に戻り、蕎麦屋を営む傍ら博徒稼業を始め、徐々に子分たちが増えた。
-腰の低い温和な親分で、いつも笑顔で、乞食が来ても「旦那」と呼んだという。
-喧嘩を一切しないことを信条とし大親分となった。「喧嘩などするとはどうしたことか、喧嘩して勝ったところで、殺してみたところで、それでどうなるわけではない。甲州近くのこの辺りは気の荒い所で、喧嘩が多いが、喧嘩にならぬように捌いてゆく。喧嘩すれば、逃亡とか、土地を離さなければならない。喧嘩すれば仇にされるが、仇は博奕場にされる。なんの得にもならず、そんなことではいけない。」と言っていた。
-60歳近くになり、跡目を曲七こと内田七太郎(本業が曲物屋)に譲る。
-晩年は蕎麦屋を営み、蕎麦屋の爺さんと呼ばれた。この蕎麦の盛り一杯はよその二杯分あり、繁盛し職人の給料もよそより高かった。
-明治26年、八王子の興林寺に三侠の墓を建てた。三侠とは[[杉本万平>一ノ宮万平]]、井上勘五郎、[[丹波屋伝兵衛]]。
-明治26年、八王子の興林寺に三侠の墓を建てた。三侠とは[[杉本万平>一ノ宮万平]]、[[井上勘五郎>大塚勘五郎]]、[[丹波屋伝兵衛]]。
-明治32年(1899年)7月18日病死。享年64歳。墓所は八王子市子安町の興林寺。
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IP:14.133.55.161 TIME:"2023-03-05 (日) 01:20:29" REFERER:"https://www.yakuza.wiki/?cmd=edit&page=%E4%BC%8A%E9%87%8E%E4%BA%80%E5%90%89" USER_AGENT:"Mozilla/5.0 (Linux; Android 12; CPH2353) AppleWebKit/537.36 (KHTML, like Gecko) Chrome/110.0.0.0 Mobile Safari/537.36"

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