#author("2021-10-01T12:59:21+09:00","","") *関口愛治 [#p9ec7702] ''関口愛治''(せきぐち あいじ、1897年 - )は侠客、香具師、的屋、演歌師。[[極東]]初代、[[極東関口本家]]初代、[[極東関口会]]。 **略歴 [#c9185b60] -1897年、群馬県甘楽郡磐戸村(現南牧村)の茂木家で四人兄弟の末っ子として生まれた。 4歳の頃、長野県北佐久郡横根村(現佐久市)の関口家へ養子に入った。 祈祷師の母・関口オソとともに全国を旅に回った。 -生家である茂木家の長男・量太郎を探すために、13歳の時に関口家を出奔し横浜へ行った。 [[櫻井一家]]・[[櫻井庄之助]]の者たちに声をかけられ木賃宿へと移った。 -横浜伊勢佐木町で演歌師として演歌を歌い始めた。 -18歳の頃、[[櫻井庄之助]]と親子盃を交わした。 -1926年、大日本神農会が結成され、取りまとめ役として活躍した。 -1939年、兄弟分であった[[飯島一家]]小倉二代目・尾津喜之助のために殺人事件に加わり約10年間の獄中生活を送った。 -1961年、[[極東愛桜連合会]]を結成した。 -1967年、死去。