#author("2021-04-15T15:53:45+09:00","","") 酒梅組五代目。 ・戦後最大規模での継承式 中納は昭和54年(1979)に健康上の理由から引退する。跡目は四代目体制の中で長く若頭を務めてきた谷口が継承した。この谷口の継承式には、親戚総代で三代目山口組組長・田岡一夫、推薦人で稲川会会長・稲川聖城、工藤会会長・工藤玄治、諏訪一家総裁・諏訪健治、三代目会津小鉄会総裁・図越利一が列席し、戦後最大規模の継承式として語り草となる。谷口の時代の酒梅組は、組員1800から2000人を数え、第二期の黄金期となった。 ・新大阪戦争 昭和58年(1983)、西成の本拠をおく一本独鈷の組織である東組との間で死傷者7人を出す新大阪戦争を繰り広げた。 参考)、ヤクザ抗争史 新大阪戦争 ・会津小鉄会との兄弟盃 昭和62年(1987)、稲川会二代目会長・石井隆匠の取持ちで、谷口と四代目会津小鉄会長・高山登久太郎が五分の義兄弟盃を交わした。 ・指定暴力団になる 平成5年(1993)に暴対法指定された際の聴聞会で、「国が定めた法律に従うのは国民の義務。酒梅組が暴対法適用の要件を満たしているならば、受け入れざるを得ない。」と述べて指定暴力団を受け入れた。