#author("2022-05-14T17:15:41+09:00","","")
* 薬師梅吉 [#f126b7ea]
&size(16){''薬師梅吉''(やくしの うめきち、本名:石本梅吉)は幕末から明治の侠客、博徒。[[薬師一家]]初代。};
** 略歴 [#e18b67ac]
-文化9年3月6日、奈良県薬師村に生まれる
#author("2024-01-30T15:24:32+09:00","","")
* 薬師梅吉[#f126b7ea]
&size(16){''薬師梅吉''(やくしの うめきち、本名・石本梅吉、1812年3月6日-1893年9月16日)は幕末の[[侠客]]、博徒。[[薬師一家]]初代。};
** 来歴[#e18b67ac]
-大阪の人。
-文化9年(1812年)3月6日、奈良県薬師村に生まれる。
-20歳の頃、大阪に出て[[お多福一家]]・[[木谷福蔵]]の子分となる。
-天保3年、堂島の島仙一家の親分を殺し旅に出る。
-武州・熊谷の[[権現喜三郎]]の所に草鞋を脱ぎ世話になっていた時、島仙一家のシャグマの虎が、稲荷吉兵衛(現深谷市稲荷)の子分を助っ人に頼み梅吉の不意を襲い梅吉は左肩に重傷を負う。
-天保3年(1832年)、堂島の[[島仙一家]]の親分を殺し旅に出る。
-武州熊谷の[[権現喜三郎]]の所に草鞋を脱ぎ世話になっていた時、島仙一家のシャグマの虎が''稲荷吉兵衛''(現・深谷市稲荷)の子分を助っ人に頼み梅吉の不意を襲う。梅吉は左肩に重傷を負う。
偶然にも通りかかった[[国定忠治]]に助けられ、忠治の家に厄介になる。
-梅吉は上州から3年振りに帰阪したが、親分お多福こと[[木谷福蔵]]は病死していた。親分福蔵の遺言に梅吉がお多福二代目を継ぐようにとあったが、梅吉は親分の死に水をとれなかったことを悔やんで、二代目を継がず、[[薬師一家]]を興す。
-伏見稲荷山の出入りの時足を撃たれ跛になる。
-明治26年9月16日歿。行年82歳。 
-跡目は伜の石本米吉が継ぐ。
-梅吉は上州から3年振りに帰阪したが、お多福こと[[木谷福蔵]]は病死していた。親分福蔵の遺言に「梅吉がお多福二代目を継ぐように」とあったが、梅吉は親分の死に水をとれなかったことを悔やみ、二代目を継がずに[[薬師一家]]を興す。
-伏見稲荷山の出入りの時、足を撃たれ跛になる。
-明治26年(1893年)9月16日没。行年82歳。 
-跡目は伜の[[石本米吉>仏米吉]]が継ぐ。
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