#author("2023-09-15T22:39:34+09:00;2023-09-15T22:38:50+09:00","","")
* 神戸長吉 [#ma99c7cf]
''神戸長吉''(かんべの ながきち、別名・吉五郎(きちごろう)又は伊勢吉五郎(いせの きちごろう)、本名・初芝才次郎(はつしば さいじろう)、1814年 - 1880年3月20日)は幕末の侠客、博徒。[[伊勢神戸一家]]初代。
** 略歴 [#n8358937]
#ac(h,open){{
-下総国千葉郡の出身とも。
-父・[[傳左衛門>神戸伝左衛門]]の跡を継ぐ。[[穴太徳次郎]]と対立し[[荒神山の喧嘩]]を起こす。
-[[黒田屋勇蔵]]の子分となり、同じ子分であった[[穴太徳次郎]]と賭場の縄張り争いをし[[荒神山の喧嘩]]を起こす。
-[[吉良仁吉]]と兄弟分で、[[吉良仁吉]]や[[寺津間之助]]、[[清水次郎長]]らに加勢を頼む。
-[[荒神山の喧嘩]]では不利と見て逃げ出し隠れていた。このことから[[清水次郎長]]から見限られている。
-喧嘩が終息してから、のこのこ姿を現し子分と三河までいったのだが、三河の[[寺津間之助]]が刀を調べたところ、争闘を避けた事実が判明した。
間之助は怒って長吉を斬り殺そうとしたが、[[御油玉吉>玉屋玉吉]]が宥めた。
この噂が広まると長吉は三河に居られなくなり、長吉一家は行方をくらませた。
-明治13年3月20日歿。行年67歳。墓所は三重県鈴鹿市西条の妙祝寺。
}}
** 検索用 [#sc88a549]
#ac(h,alt){{
神戸長吉、神戸吉五郎、神戸長吉、神戸吉五郎、伊勢長吉、伊勢吉五郎、神戸ノ長吉、神戸ノ吉五郎、神戸ノ長吉、神戸ノ吉五郎、伊勢ノ長吉、伊勢ノ吉五郎、初芝才次郎、初芝才治郎
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