清水一家江尻
清水一家江尻(しみずいっかえじり)は清水江尻に本拠を置いた博徒一家。清水一家の江尻貸元。
略歴
初代
-明治35年9月29日沒。行年58歳。墓所は静岡県清水市江尻の法雲寺。
二代目
- 金子金蔵は、1857年(安政4年)1月28日、上清水の角田甚右衛門の二男に生まれ、金子亀吉の養子となる。
- 清水一家江尻貸元・山田房五郎の跡目を継ぐ。
- 金蔵の跡目は広瀬増吉で金蔵の墓左側面に広瀬増吉建之とある。
- 清水次郎長墓に江尻・金子金蔵とある。
- 兄弟分には今泉の森藤三郎、子分には榊原京作、若杉米吉、八木増吉、山本音七、大多和悌蔵らがいた。
- 明治43年1月4日沒。行年51歳。墓所は静岡県清水市入江町の法岸寺。
三代目
- 広瀬増吉は清水一家江尻貸元・金子金蔵の跡目。
- 金子金蔵墓左側面に広瀬増吉建之とある。
- 増吉の養子広瀬七郎(昭和40年3月25日歿、行年79歳)は、浅草の親分であった。
- 昭和6年5月30日歿。行年70歳。墓所は静岡県清水市興津の理源寺。
系譜
初 代 - 江尻房五郎(本名:山田房五郎)
二代目 - 金子金蔵
三代目 - 広瀬増吉