#author("2024-03-23T17:30:57+09:00;1970-01-01T18:00:00+09:00","","")
* 松田芳子 [#adb7e8dc]
''松田芳子''(まつだ よしこ 旧姓・松永芳子 1917年-1956年)は日本の元ヤクザ。東京都新橋に本拠を置いた[[的屋]]系暴力団・二代目[[関東松田組]]元組長。戦後初の女組長として名を馳せた。
** 略歴 [#me5dd57f]
-もとは神奈川県横浜市山元町出身。富山県出身。
-本牧のチャブ屋(外国船員相手の高級遊郭)「東亜」に勤め、常に№1の座を保っていたが、プライドも高く、気にいらない客は絶対にとらなかった。

-芳子は美人として知られるが、妹のルミは芳子にもまして目の覚めるような美女であったという。
-妹のルミは、腕に文字で「流れ星」の刺青を彫り、“流れ星のルミ”という異名を持つ。
-妹のルミは「カッパの松」と呼ばれ、東京新橋の青空市場、闇市を取り仕切っていた松田組の親分・[[松田義一]]と結婚したが、[[松田義一]]が服役中に妻・ルミが肺結核で死去。

-1942年(昭和17年)暮れ、[[松田義一]]が出所。ルミの喪が明けた後、姉である芳子が[[松田義一]]の後妻に収まった。
-1945年(昭和20年)12月、[[関東松田組]]を起こす。
-1946年(昭和21年)6月、[[関東松田組]]組長である夫・[[松田義一]]が自身の舎弟・野寺富二に射殺された(渋谷事件)。
-同月16日、[[松田義一]]の妻・松田芳子が当時31歳で女組長として[[関東松田組]]を引き継いだ。

-1947年(昭和22年)7月16日、引き続き第三国人との激しい武力抗争、闇市を商店街化させた新生マーケットの焼失など、組の基盤を揺るがす出来事が続いたため、松田芳子は40人の直属を集めてカタギに戻る宣誓式を行った。

-[[関東松田組]]の解散後、郷里・富山に帰ったり、深川の料亭の帳場ですわったりしていた。
-1957年(昭和32年)10月、大阪で死去。ヒロポンでは効かず、麻薬を打ち続けたのが原因といわれる。
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