#author("2021-10-17T19:03:07+09:00","","")
#author("2024-04-12T01:05:31+09:00","","")
* 寺津治助 [#bf97f7ef]
&size(16){''寺津治助''(てらづの ちすけ、本名:藤村次助)は幕末の侠客、博徒。[[寺津一家]]初代。};
''寺津治助''(てらづの ちすけ 別名・今天狗治助、西尾治助 本名・藤村次助)は幕末の侠客、博徒、元力士。[[寺津一家]]初代。
** 略歴 [#f182a62c]
-寺津は三河国幡豆郡寺津村(現・西尾市寺津町)より。
#ac(h,open){{
-三河国幡豆郡寺津村(現・西尾市寺津町)の人。
-文化2年(1805年)、藤村甚平の長男に生まれる。または文政初年(1818年)頃の生まれ。
父甚平は六角山甚平(天保8年6月9日没)という田舎相撲の親方で、三代目清見潟の門人。天保4年6月に現在の岡崎市祐金町善立寺境内にて江戸相撲を興行。
-通称の今天狗は相撲の四股名との説あり。
-本職は瓦師であるが、20歳の頃諸国を渡り歩き博打を覚える。
-清水に滞在し[[清水次郎長]]と親交もあり。
-嘉永期(1848年~1854年)に[[寺津一家]]を興し大いに勢力を振った。
-[[清水次郎長]]が[[寺津一家]]の食客となった。
-二代目は実弟の[[寺津間之助]]が継いだ。
-二代目は実弟の[[寺津間之助]]が継いだ。治助跡目[[寺津間之助]]は六角山甚平の二男で治助と兄弟である。
-嘉永2年(1849年)2月13日歿。行年44歳または34歳。墓所は愛知県西尾市寺津町の養国寺。
}}
----
-この項目は書きかけ項目です。
-役職や名称等、人事の変更などで必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
-役職や名称等、人事の変更がされても、必ずしも最新の情報とは限りません。加筆、訂正して下さる協力者を求めています。
※誹謗中傷や悪戯、あらし行為、悪質な売名行為、他サイトの宣伝などは厳禁とします。
-編集される際は「[[テキスト整形のルール(詳細版)>FormattingRules]]」をご覧ください。
-編集を依頼される場合
ご利用者様に編集協力を依頼する場合は下記の【このページの編集依頼】または【[[加筆・編集依頼]]】から''編集対象のページタイトル・編集内容''をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。
運営宛に編集依頼するには【[[メールで編集依頼]]】から依頼して下さい。
-編集される際は「[[テキスト整形のルール(詳細版)>FormattingRules]]」をご覧下さい。
-編集を依頼される場合、他のユーザーに編集協力を依頼する時は下記の【このページの編集依頼】または【[[加筆・編集依頼]]】から''編集対象のページタイトル・編集内容''をできるだけ詳しく記載の上、依頼して下さい。
運営宛に編集依頼する時は【[[メールで編集依頼]]】から依頼して下さい。
----
【このページの編集依頼】

#comment
~


トップ   新規 一覧 検索 最終更新   ヘルプ   最終更新のRSS