#author("2021-10-12T18:14:44+09:00","","")
*勇山一家 [#g8860639]
&size(16){''勇山一家''(いさみやまいっか)は京都府に本拠を置いた博徒一家。};
**略歴 [#q3959394]
***初代 [#e8cffda4]
-勇山岩次郎(本名:小畑岩次郎)は元治元年(1864年)10月20日、伏見両替町に生まれた。
-小躯ながらも腕の力は強く宮相撲に飛び入りして名をあげ、侠客の仲間に入り、矢ツ車こと大西留吉の子分となる。
また、『大瓢箪』には、[[いろは幸太郎]]の若頭・山本覚太郎の子分とある。[[会津小鉄一家]]牧尾良助の舎弟。九州若松・[[吉田磯吉]]とは五分兄弟分。
-好きな相撲の興行も引き受け、明治38年8月、同39年9月勧進元、同42年9月差添、同43年5月勧進元、同45年2月は小畑岩次郎の名で勧進元を努めている。
-勇山は信仰心が厚く、各地の神社・仏閣に寄進せられ、恋塚、耳塚、烏寺、千本えんま堂の玉垣や献灯などに勇山の名を見る。
-大正6年3月18日歿。行年54歳。墓所は京都府京都市伏見区桃山町の栄春寺。
-勇山の葬儀は三条大橋東詰のだんのうで行われたが、先頭が寺に到着したのに、最後の列はまだ伏見の自宅にあったといわれる。
-追善相撲は大正7年2月18日、19日、場所も同じ三条木屋町で、当時の東京相撲をそのまま迎え、大阪相撲も加わって盛大に行われた。
-大津市[[荒虎音吉]]碑に後見人伏見・小畑岩次郎とある。
-勇山跡目は増田伊三郎が継ぐ。勇山身内として丹波の山木弥三郎、大阪の山本辰五郎、京都の伊藤卯之助、福井の飛島文吉、播州の藤原作十郎、阪本の若柳卯吉、橋本の西谷音吉、広島の桝本保太郎らがいた。
***二代目 [#o9b470d3]
-勇山伊三郎(本名:増田伊三郎)は勇山岩次郎跡目で、[[大日本国粋会]]京都本部長を務める。
-昭和17年8月5日歿。行年75歳。墓所は京都府京都市伏見区の勝龍寺。
**系譜 [#xbac52f5]
初 代 - 勇山岩次郎(本名:小畑岩次郎)
二代目 - 勇山伊三郎(本名:増田伊三郎)
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